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マンガへの飽くなき情熱が研究の原動力。手塚治虫の軌跡を追う。【社会学部メディア学科 竹内長武 教授】

'17年3月8日 更新

海を越えて愛される
日本の「MANGA」。
その礎を築いた神様。

マンガとアニメーションは今や世界に誇る日本文化としておなじみだ。1980年代後半より国際的に高い評価を得るようになり、2000年度の文部科学省『教育白書』でマンガ・アニメーションが芸術分野のーつとして位置付けられた。2002年度には中学校学習指導要領「美術」においてマンガが取り上げられている。そんな日本の「MANGA」の礎を築いたのは、マンガの神様と称されている手塚治虫の他にいない。「戦前のマンガは単調な展開だったのに対し、手塚先生の作品は物語を重視したストーリーマンガであることが特徴です」。数多くの人間が彼の作品に影響を受け、マンガ家を志した。竹内教授もその1人である。竹内教授は幼少期より絵に強い関心を持ちたくさんのマンガを読んできたという。学生時代にはマンガへの情熱から手塚作品を卒業論文で取り上げ、本人への取材を敢行。始めは手塚プロダクションから難色を示されたが、東京に一週間滞在して粘り強く交渉したという。「念願の取材は2時間半にも及び、手塚先生の気さくな人柄に感激しました」。竹内教授自身もかつては新人の登竜門と呼ばれる集英社主催の手塚賞に応募し、最終選考10作品に2度選出された。「当時は、マンガの執筆活動を一種の自己表現とする考え方から売れる作品を重視する商業主義へと移行する転換期でした」。編集者からの指示に従って、修正を繰り返す中で、自身の理想像とかけ離れていくことに気付いた竹内教授はマンガ家としての道を断念。進路を大学の先生に相談したところ、「これまでの経験や熱意を活かして、マンガ研究に取り組むのはどうか」という助言を受け、研究者として生きることを決意したのだ。

作品に浮かび上がる
手塚治虫の関心と時代背景。
人々を魅了した秘密とは。

手塚治虫は天才的なストーリ一作りと多様な表現手法を用いて数多くの革命的マンガを世に送り出した。当時、マンガは子ども向けの低俗な読み物として白眼視されていたが、手塚作品によって日本中の大人が認識を変えたことは言うまでもない。竹内教授は学生時代より、手塚治虫が生み出した読者を惹きつける技法に強い関心を持っていた。前述した卒業論文では、「『鉄腕アトム』におけるアトム像の変遷」を取り上げた。作中におけるロボットと人間の関係には、社会における差別問題が反映されていた。『鉄腕アトムが連載された17年間の中で、アトムのキャラクター像と手塚先生の差別に対する思いがどのように変化したのかを取り上げました」。修士論文では手塚作品における映画的手法について展開。登場人物の視点と読者の視点を重ねることで、読者に登場人物への感情移入を促す手法を竹内教授は「同一化技法」と名付けた。(写真1)「論文を執筆して30年以上経った今日でもこの論文・技法について議論されており、婚しく思います」。手塚治虫の映画やアニメーショシに対する強い関心がこのような技法を生み出したと推測される。「手塚先生は関心を持った文化や経験を組み合わせることで作品を創作しています。一部ではオリジナリティがないとの批判もありますが、その絶妙な組み合わせこそがオリジナリティだと私は考えています」。
現在、竹内教授は『ジャングル大帝』に焦点を当てた研究を進めている。ジャングル大帝といえば、主人公である白いライオンのレオが象徴的であろう。しかし、竹内教授はこの作品の研究を通して、さまざまな設定が後付けされていることを発見した。「『白い』ライオンという設定や『レオ』という名前は、当初あいまいなまま使われていましたが、連載が進むにつれてはっきりとしてきます。さらに単行本出版の際にまとまった形になったと考えられます」。他の手塚作品や当時の発言・記録を踏まえて作品を紐解くことで、作品が発表されて月日が経つ今日でも新たな発見にあふれているそうだ。

マンガ研究の地盤を固め、
研究発展に貢献。
新たな世代の台頭を期待する。

文化が勃興・発展する際には必ず革新的なアイデアや並外れた技量を持った偉人が現れる。近代童話のアンデルセンや映画のチャップリンがそうであるように日本マンガにおいては手塚治虫がその役割を担った。手塚治虫が育った戦前はマンガや映画などの大量生産物を子どもたちに届ける大量生産児童文化と呼ばれる新たなムーブメントの最中であった。そんな時代に育った手塚治虫は幼少期より絵の才能を開花。青年期には大阪帝国大学附属医学専門部を卒業するもマンガ家としての道を選ぶ。その後の活躍は周知の通りだが高度経済成長期にはアニメーション制作にも携わり、マンガ・アニメーションという文化を広く世に浸透させたのである。「世間に認められ始めたのはこの30年間です」と竹内教授は手塚作品をきっかけにマンガ・アニメーションというサブカルチヤーに対する世間の認識が変化したと述べる。「私もマンガ・アニメーション・児童文化研究の同人誌ビランジ(写真2)を主宰して、マンガ研究のすそ野を広げる活動に取り組んでいます」。文学などに比べるとマンガというジャンルが確立してからの年月はまだ浅い。マンガに対する批評は増えているが、より深く考察・分析した「研究」と呼べるものはそう多くはない。そこで竹内教授はマンガ研究発展の一翼を担うため、戦後から2013年までに発表された図書や論文等、計21,158点を収録した『マンガ・アニメ文献目録』を監修した。(写真3)このようなマンガ・アニメーションに対する戦後の批評・研究を一望できる目録はこれまで存在しなかった。『近年現れ始めた若手研究者らの役に立てばと思い、出版しました』。時代とともにマンガに対する評価が変わり、マンガ自体も電子書籍として読まれるようになるなどそのあり方が変化している。今後、手塚治虫のように新たなマンガの形を創造する作家や新時代の作品を深く考察・分析する研究者の台頭を竹内教授は期待している。

竹内長武 社会学部メディア学科 教授

1951年生まれ。大阪教育大学教育学部卒業、大阪教育大学修士課程教育学研究科国語教育専攻修了。
「マンガ史」や「児童文学」を主な研究課題とする。第14回日本児童文学学会奨励賞を受賞。主な著書として『手塚治虫―アーチストになるな』(ミネルヴァ書房)や『マンガ表現学入門』(筑摩書房)などがある。学生時代にはマンガ家を志し、手塚治虫に命名してもらったペンネームおさ・たけしでマンガ作品を発表している。

同志社大学リエゾンオフィスニューズレター「LIAISON」 vol.50 掲載
(写真1)代表作『新宝島』における同一化技法

(写真1)代表作『新宝島』における同一化技法
出典:酒井七馬・手塚治虫『新宝島』育英出版(1947)

(写真2)竹内教授が主宰するマンガ・アニメーション・児重文化研究の同人誌『ピランジ』

(写真2)竹内教授が主宰するマンガ・アニメーション・児重文化研究の同人誌『ピランジ』

(写真3)『マンガ・アニメ文献目録』{日外アソシエーツ)

(写真3)『マンガ・アニメ文献目録』{日外アソシエーツ)

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