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夫・新島襄について

新島襄の生涯をご紹介します。

新島襄(にいじま じょう)

天保14年1月14日(1843年2月12日)生まれ。
明治23年(1890年)1月23日永眠。
新島襄

生涯

安中藩士新島民治・登美の長男として江戸、神田の安中藩江戸屋敷で生まれました。
1864年、21歳の時に、国禁を犯して渡米し、8年間ボストンで教育を受けました。 フィリップス・アカデミー(高校)在学中に洗礼をうけてクリスチャンになり、さらにアーモスト・カレッジを卒業後、キリスト教の宣教師として帰国することを考え、アンドーヴァー神学校で神学を学びました。神学校在学中には岩倉遣欧使節団に随行し、アメリカと欧州8カ国の教育制度の調査や視察を行いました。それまでのアメリカでの生活経験に加え、使節団での欧州訪問を通じて、欧米文明をつくり、支えているものが、キリスト教信仰であり、デモクラシーを体得した独立自尊の人間であること、従ってこのような人間を日本で教育することこそが日本を近代化することになるという確信を得ました。
新島は近代国家の仕組みよりも近代国家を作り出した人間に強い関心を示し、とりわけアメリカの中・高等教育機関がキリスト教主義教育、自由教育(liberal arts education)を通して、知・徳・体の調和のとれたトータルな人間を教育し、彼らが地方や国家のリーダーとなって、アメリカの政治、経済、文化、教育をリードしていることに注目しました。
帰国直前の1874年秋、バーモント州ラットランド市グレイス教会で開催された、アメリカンボード第65回年会で、「日本にキリスト教主義の学校を作りたい」と涙ながらに訴え、総額5000ドルの寄付金を得ました。
同年、10年にわたる海外での生活を終え、帰国。山本覚馬を紹介され、彼の協力を得て、1875年11月29日に同志社英学校を開校しました。そして、八重と知り合い、1876年1月、宣教師デイヴィス宅で結婚式を挙げました。以後 46歳で永眠するまで、伝道と大学設立運動に奔走しました。

新島襄の生涯、年表などについての詳細は、以下のサイトで紹介しています。

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