(パンフレットあいさつ文より)
2010年は、新島八重生誕165周年にあたります。八重は1845 (弘化2)年11月3日、会津藩(現在の福島県会津若松市)で生まれました。1932(昭和7)年6月14日に永眠するまでの八重の生涯は、様々なキーワードをもとにして読み解かれてきました。会津戦争、女丈夫、新島襄の妻、クリスチャン、篤志看護婦、茶道などがその最たるものでしょう。
さらに、近年テレビ番組等で八重が取り上げられる機会がいくつかありました。そうした番組ではとりわけ八重の進取性がクローズアップされ、同世代の女性とは異質な、先進的な存在であったことが浮き彫りにされています。確かに、会津戦争の時には鉄砲を扱い、また新島と結婚してからは洋服を着るなど、彼女は当時の一般的な女性と比べると特異な存在であったと言えるでしょう。
八重の進取性は注目に値するものです。しかし、同時に八重の行動は常に何らかの彼女なりの理由に基づくものであったことがうかがわれます。その理由は、彼女の生涯の場面ごとに異なりますが、彼女の諸活動の様相から見出せるのではないでしょうか。
今回は、八重の生涯のうち、会津戦争時代、同志社時代、篤志看護婦時代に着目します。展示を通じて彼女の進取性とそこに見出される彼女の矜持を感じ取っていただけると幸いです。
同志社社史資料センター
2009年10月
パンフレット(15ページ)は画像をクリックで[PDF]をご覧いただけます。