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旧邸にまつわるあれこれ

新島夫妻の食卓

旧邸の食堂には、テーブルと椅子が据えられています。そこからイメージできる通り、夫妻の食卓には、洋食中心の食事が並びました。しかし、明治10年代という時代は、洋食を作るための材料、例えばトマト一つ手に入れるのが難しい時代です。 新島夫妻は、どのようにして、食事の材料を調達していたのでしょうか。 現在、旧邸の東南には、同志社校友会館が建っていますが、もともと会館の敷地は、新島家の敷地で、ひらけた庭だったのです。新島遺品庫に収蔵されている写真のなかに、竣工間もない旧邸の写真があります。
旧邸の食堂
ちょうど、現在の新島会館のある場所から、母屋の南面を撮影した写真には、今のような垣根は無く、広い庭の様子がうかがえます。 新島は、この庭に作った家庭菜園で、洋野菜を自ら栽培していました。洋野菜の種や苗は、知人の津田仙やW.S.クラークから送ってもらうなどして、譲り受けていたようです。
※竣工後まもなくして撮影された旧邸(1878年10月)

※竣工後まもなくして撮影された旧邸(1878年10月)

新島家には、度々同志社の学生が招かれ、食事がふるまわれました。創設期の学生たちによる回想には、新島家の食卓の様子が書き残されています。キャベージマキ、オムレツ、ビフテキなど、やはり西洋料理が並び、学生が喜んで食べたようです。ちなみに、新島のこだわりも書き残されています。それは、チーズです。学生が食べ慣れずに残したのに対し、「西洋料理を食べる時は必ず食べなけれバならないものだ(原文ママ)」と諭したと言います。
洋食器
新島襄愛用のスプーン
※新島遺品庫で保存されている洋食器と、新島襄愛用のスプーン
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