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第一次世界大戦以降の日独法学の交渉史を分析し日本法の根底を成す政策的・法文化的な変容を考察【日独法学交渉史研究センター センター長 大中 有信(司法研究科長・教授)】

'17年6月13日 更新
 日本法はドイツ法学から多大な影響を受けてきた。そのために、本格的な歴史研究を行い、現代日本の法制度の基層を総合的に考察することは喫緊の課題である。日独法学交渉史研究センターでは共同研究「日独法学交渉史と現代日本法の形成についての総合的研究」によって第一次世界大戦以降のドイツ語圏への日本人留学生の実証的データを基に、法思想の形成過程、制度受容などの実態を解明。その後の変容を、特に第二次世界大戦時及び戦後の日本法システム形成の視点から探究している。

大きな影響を及ぼした法制官僚の留学

 日独法学交渉史研究センターの本共同研究に先立ち、2012年から2015年まで「日独法学交渉史の総合的研究」(研究代表者:H.P. マルチュケ)が行われてきた。この起点となったのは、ドイツの国立公文書館の司書であったハルトマン(R.Hartmann)の調査資料である。そこには1868年以降(1945年まで)のドイツにおける日本人留学生の受け入れ大学、専門科目、留学期間、帰国後の経歴、学問的業績などが記載されており、その数は数百に及ぶ。3年間にわたる本研究によって留学生(260余人)に関する基本情報はすでにデータベース化され、研究成果の一端は「日独法学交渉史の再定位」と題したシンポジウム(2014/12:法制史学会近畿部会共催)で発表された。

 これまで試みられることのなかった留学生の実態に関する実証的研究と基礎的資料の公開は、学界を始めとする共有財産の形成に大きく貢献するものである。また、データの分析によって帰国後に行政官・司法官としての経歴をたどった者が多数を占めていることもわかった。これらは日本における法制官僚の構造の解明、日本法への影響の探究に役立つ。さらに、ドイツ法の受容は三つの段階を経ていることも判明した。法制度整備の時期(明治初年~20年代)、導入制度を詳細に分析した学説継受期(明治20年代後半~大正期)、政策立案のために比較法対象とした受容期(大正・昭和初期以降)である。本共同研究は、これらの実績を受け継ぎ、伸展させることを目的にしている。

比較法の視点でドイツ法を捉えた留学生

 ハルトマンの調査に基づく基礎的データは、第一次世界大戦の勃発時から1920年までの情報が欠落しており、それ以降はベルリン大学の日本人留学生に限定されている。「この時期は戦争で日独の国交が途絶え、日本人留学生がオーストリアやスイスなどのドイツ語法圏に研究の場を求め、比較法対象としてドイツ法を俯瞰的な視点から受容していった過程と重なります。受容は単なる模倣ではなく、独自の創造性を含む言葉です。ですから、日独法学交渉史と現代日本法の形成を探究する上で、非常に重要なポイントになるわけです」。このような観点から本研究センターでは、今後の研究に不可欠なこの基礎的資料の結実を目指している。具体的には、まずドイツ(1920年~1945年のベルリン大学留学生を除く)、オーストリア、スイスを中心とした留学生リストを作成。これに基づき、留学先及び日本側に所在する研究業績、伝記的叙述などの個人情報の収集に努め、ドイツの公文書館や図書館にある日本人の研究発表、大学に保管されている博士論文、翻訳書、専門雑誌に掲載された研究論文、随筆、法律事情の紹介、有力な研究者との書簡なども徹底的に集めている。また、留学生の間に存在した緊密なネットワークに関する情報収集も実施。さらに、法思想史的な背景を探究するために、法哲学の恒藤恭、法史学の栗生武夫、民法学の我妻榮を取り上げ、個別の制度・学説史を考察するために民事訴訟法の兼子一なども研究対象にしている。

産業合理化運動が統制経済法令に直結

 欧米列強を目標に日本の近代化を図る明治新政府にとって人材育成は要諦であり、欧米各国に逸材を送り出し、学ばせる。当時、分野別に派遣する国を決めており、法律はフランスであった。しかし、「明治14(1881)年の政変」で君主主権の憲法制定を目指す伊藤博文や井上馨が対立する大隈重信らを政府から追放し、急激にドイツに傾斜して行く。「これを牽引したのが大日本帝国憲法などを起草した井上毅です。法律は民族や地域などの歴史を背景に生成し、発展するというドイツの歴史法学に感銘したのです。これに先立ち、普仏戦争を視察した大山巌(後の陸軍元帥)がドイツの高度な教育体制が勝因であると高く評価したことも、この流れを加速させました」。以後、ドイツへの留学生数は激増し、帝国大学(東京大学)の講義でもその判例集を用いるようになる。

 第一次世界大戦後の1929年に起こった世界恐慌も、その後の法制度に多大な影響を及ぼす。「危機的な状況に直面した日本は、限られた資源を効率的に運用するために、ドイツで行われていた産業合理化運動などをモデルにし、これが一連の統制経済法令につながっていきます。例えば、電力会社の統合、農業金融、借地借家権の保護強化、源泉徴収制度など多岐にわたります。これらはGHQによる改革後も残存してきました」。本研究センターでは、このような今日の日本法の通底を形成し、独自の展開を遂げてきた日本の法制度を総合的に考察し、従来の研究に新たな視角を提供したいと考えている。

日独法学交渉史研究センター センター長 大中 有信(おおなか ありのぶ)【司法研究科長・教授】
1990年京都大学法学部卒業、1992年京都大学大学院法学研究科修士課程修了、1995年京都大学大学院法学研究科博士後期課程退学。大阪国際大学助教授、法政大学法務研究科教授を経て、現職。大学時代に司法試験に合格し、民法の教育・研究の道に進む。少年時代から裏千家で茶道に親しみ、現在も茶の湯の世界で心を和ませている。

同志社大学通信One Purpose191号掲載
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