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はじめに

卒業生メッセージ:長倉洋海さん

長倉洋海さん

「大学に行けば、自分が変わるような何かに出会えるかもしれない。」−そんな期待を抱いて同志社大学へ進学した。京都の大学を選んだのは、修学旅行で訪れた古都の佇まいに魅了されたからだ。しかし、せっかく入学したものの学校は全学ストライキ中、正門はバリケード封鎖、授業もほとんど行われず、前期はレポート提出となった。そのことが、私が探検部(サークルの一つ。現在は休部)の活動に没入していくことにつながっていく。

1年次には、先輩と手製の筏で日本海を実験漂流、失敗し海上保安庁に救助される羽目になってしまった。2年次には、原初の生活に憧れ、ミクロネシア最南端の小さな島に向かった。カヌーで漁に出たものの、マグロを釣り上げるワイヤーで手はボロボロになり、裸足で珊瑚を歩くと足裏は傷だらけになった。自然人としての非力さを嫌というほど思い知らされた。3年終了時には大学を休学、アフガニスタン遊牧民に潜入して国境を越える旅を目指したものの、地方での反乱のため国境が緊迫。彼らと自由に国境を越えることは叶わなかった。

卒業後、私は報道写真家を目指した。「大勢の人に伝える」という仕事に就けば、それまで感じていた自分の限界を乗り越えられるかも知れないと思ったからだ。世界の紛争地を駆け巡った。熾烈な内戦が続く中米エルサルバドルでは、無惨な死体を目のあたりにして、初めて「死にたくない」と思った。その1年後、12日間の山越えを経て、侵攻したソ連軍と戦うアフガン抵抗運動の指導者マスードのもとを訪れた。百日を共にする中で、マスードは「『死』を決めるのは神だ。いつかはわからないが、その時までを燃焼させるように生きたい」と話した。また、エルサルバドルの難民キャンプで、19年に渡って見続けてきた少女は「ここで育ったことを恥ずかしいと思う友だちもいるが、私にとっては、たくさんの思い出が詰まった人生の宝石箱のようなもの」と話してくれた。

出会った人びとに、合わせ鏡のように自分の姿が映し出されることで、私の進むべき道が少しずつ見えてきた。その一歩は同志社探検部時代にあった。北海道や東北、四国や九州など全国から集まった同年代の若者と岩登りや川下り、山行の合宿を共にした。小さなテントの中で、体は疲れきっているにもかかわらず、夜を徹して、人生や生きることの意味を語り明かしたこともある。先生にも恵まれた。「卒論のテーマは何でも構わない。一生懸命にやったことがわかれば」と、アフガン遊牧民接触行についての報告書を受け入れてくれた政治思想史の岡本先生、卒業してからも私を見守り続けてくれている探検部顧問の鈴木先生・・・。どの出会いも深く心に刻まれている。

そうした出会いの場になったのが今出川と新町キャンパスだった。いま、その母校が生まれ変わろうとしている。新・同志社はアカデミズムに閉じこもるのではなく、広く外に開かれた大学、さまざまな出会いを生み出し、世界の人びとに連なる場となってほしいと願う。その空間が存在することで、君たちが「さらなる自分」に羽ばたき、新しい地平に向かっていくことができるはずだから。

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