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人間力を軸に地域と共に歩む 〜金融界を生き抜く同志社人の志

Cross Talk 『志』その先へ-卒業生・修了生対談-

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左:同志社大学 小原 克博 学長、右:株式会社京都銀行 取締役頭取 安井 幹也 氏

安井 幹也 氏
株式会社京都銀行 取締役頭取。1987年3月に同志社大学経済学部卒業後、京都銀行に入行。秘書室長や人事部長を経て、2017年に取締役、2018年に常務取締役に就任。そして、2023年6月に代表取締役頭取に就任。2023年10月には、グループ経営の強化事業領域の拡大を目的に、持株会社体制への移行を実施する等、さまざまな取り組みを通じて長期持続的な企業価値向上に努められる。

ゼミで培った学びの真髄が社会を生き抜く「同志社人」の基盤に

小      原
「『志』その先へ」のシリーズに、本日は安井幹也さんをお招きいたしました。安井さんは1987年3月に本学経済学部を卒業されました。卒業後は京都銀行に入行され、秘書室長や人事部長を経て、2017年に取締役、2018年に常務取締役に就任。2023年6月に代表取締役頭取に就任されました。2023年10月にはグループ経営の強化事業領域の拡大を目的として持株会社体制への移行を実施するなど、さまざまな取り組みを通じて長期持続的な企業価値の向上に努めておられます。早速ですが、安井さんの学生生活についてお聞きしましょう。
安      井
今出川キャンパスしか知らない時代で、普通の学生が普通の生活を送っていたという感じです。私にとって一番大きな思い出は、3回生から始まったゼミの授業です。岩根達雄先生という非常に立派な方の、金融論のゼミでした。正直言って私は一番の落ちこぼれ組だったので、難しい経済学の原書を英訳して読み込み、毎週ゼミに臨むのは大変でした。ただ、優秀な仲間たちから非常に刺激を受けました。昭和の終わり頃は金融機関がたくさんあり、文系の学生にとって一番の人気職種でしたから、ゼミにもそういう人たちが集まったのだと思います。
小      原
ゼミのおかげで集中して勉強に取り組めたのですね。
安      井
そうですね。もしあのゼミに入っていなければ、また違ったことになっただろうと思います。クラブ活動もアルバイトもしていましたが、あの2年間は本当に真剣に勉強して、一番充実した時間でした。「国際収支の均衡理論」というテーマで書いた卒業論文は、今も家に残しています。先日読み返してみると、結構立派なものを書いたなと自分で感心しました。でも、大学時代にもっといろんな勉強をしておけばよかったと、銀行に入ってから思いました。後の祭りですが。
小      原
3回生で金融論を中心とするゼミに入られたということは、その時点で卒業後は金融の世界で働きたいという気持ちを固めていたということですね。
安      井
はい。当時はバブル経済に向かう前の段階で、中堅の証券会社も多く生まれ、本当に金融機関は人気でした。なぜあんな難しいゼミを選んだのかは、何となくそのときの勢いだったと思います(笑)。

京都への強い思いと学生生活での多様な経験

小      原
当時は今のように情報も得にくい中、たまたま選んだゼミで非常に勉強させられたというのは、結果的にはよかったのではという気もします。金融機関が多くある中で、京都銀行を選ばれたのはなぜですか。
安      井
単純に、京都に残りたかったからです。京都銀行が第一志望でした。そもそも銀行を選んだのは、メーカーなら花形はエンジニアですが、金融機関では担当者の力、つまり人間力が一つの商品になると考えていたからです。そこで人として思い入れを持てるような土地で働くことを考えると、私は京都しか知らない。だから地元のために残った方がいいのかなと思ったんです。銀行は地域とのつながりが非常に強いですからね。特に地方銀行はそうです。
小      原
地域社会への貢献を目指されたのですね。
安      井
都市銀行も先輩の紹介でいいお話をいくつかいただきましたが、最終的には京都銀行に採っていただけたので、そのまま入行しました。私たちの時代の就職活動は、協定で8月20日が解禁日。4回生の8月20日朝、私は京都銀行の本店前に立っていました。
小      原
それが第一志望だというわけですね。
安      井
そうです。就職活動は実質1週間ぐらいで終わりました。4回生の前期試験が終わって単位の目処が立てば、8月20日まではクラブ活動やアルバイト、勉強に集中できた。3年数カ月は学生生活を満喫したと思います。そういう面では、非常に学生らしい生活を送れた時代だったのかもしれません。
小      原
メリハリの効いた、理想的な時代だったかもしれませんね。今はもっと就職活動が前倒しになり、勉強に集中しないといけない時期に就職も考えないといけません。両立は大学全体の課題です。勉強以外で打ち込まれたものは何でしたか。
安      井
クラブ活動です。中学から大学までずっとバレーボールをしていました。アルバイトも飲食店や、小学校の学童保育の補助員をしました。実家のある宇治市が募集したもので、小学校1年から3年までの子どもたちと、放課後や夏休みを一緒に過ごすんです。当時は今ほど学童保育が一般的ではなかったので、子どもたちとの触れ合いはすごくいい経験でした。
小      原
キャンパスにいると同年代と付き合う時間が長くなります。どうしても均質的な人間関係になりがちです。そこで子どもたちと接すると、受けるものが当然違いますよね。
安      井
そうです。宿題を一緒にしたり、昼寝をしたり。子どもたちはいろんな質問をしてきますが、学生の私にとっては答えるのに窮するような事もあり、違う世界を経験できました。
小      原
宇治から今出川キャンパスに通われたということで、京都の魅力を体感しながら過ごされたと思います。京都の魅力はどこにありますか。
安      井
伝統のある歴史的なまちというイメージは一つの魅力ですが、それだけではありません。京都の人は古いものを守り続けていると思われがちですが、新しくてもいいものはどんどん取り入れる気質です。古いものと新しいものがうまく融合しているまちですね。
小      原
だからこそ、いろんなベンチャーが生まれるわけですね。
安      井
おっしゃる通りです。京都ではほとんどのメーカーさんがベンチャーで、戦後に伸びたメーカーも多いです。そして世界中の人が京都を知ってくれている。だからこそ京都で大きくなった会社は本社を京都に置いたままで、社長が本社におられる。そのようなベンチャー企業がある一方で、何百年と続く会社も多い。他にはないまちです。
志対談_2025_安井4.jpg      (119810)
同志社大学 小原 克博 学長
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株式会社京都銀行 取締役頭取 安井 幹也 氏

人事部や支店長の経験が築いた「人」を活かす経営哲学

小      原
同志社大学も、京都にあるということが魅力の一つだと思います。東京には人も物もお金も集まりますが、東京や他のまちにはない魅力を京都は持っていますので、高校生など、若い人たちにも自信を持って京都に来てくださいと呼びかけることができます。そして同志社大学で学び、歴史ある文化や伝統に触れる中で成長できる。新しいものを生み出すにしても、伝統に触れることはすごく大事です。それができるのが京都ですね。さて念願かなって京都銀行に入られた後のお話をお聞かせください。イメージ通りの会社でしたか。
安      井
銀行業界の変化は常に激しく、京都銀行もどんどん変化していきました。私の入行当時は地域的にも限られたエリアで仕事をする、一地方の銀行でした。最初は河原町支店に3年8カ月勤務し、預金や融資の事務、そして営業もしました。京都の中心部を自転車で回り、取引先を一軒一軒訪ねて回る、まさに地方銀行の仕事そのものです。すごく楽しかったですね。入行4年目の平成2年秋には、最初の転勤で東京へ行きました。バブルの東京は、ものすごくキラキラしていました。そこで2年間資金証券部に所属し、京都で集めたお金の余資をマーケットで運用しました。当時は日経平均が4万円に向かって上がっていく時代でしたし、ブラックマンデーの後でもありました。すべてが刺激的で、私にとってその2年間は本当にすごい世界を見たという思いです。「もっと勉強しておけばよかった」と思ったのは、そのときです。でも同志社大学の先輩がいて、いろいろと教えてもらいながら、半年ぐらい経つと偉そうに専門用語を駆使して話せるようになりました。2年後、京都に戻り、人事部に配属されて採用担当になりました。30歳になろうとしていた頃で、大学の大教室に学生を集めてセミナーを開いていました。それから人事制度の企画、福利厚生をはじめとする諸制度の導入など、さまざまな仕事をしました。壁に当たりましたし、悩みもしました。一人では何もできないから、仲間や先輩、他の銀行、他の業態の人との関わりの中で教えてもらいながら、何とかやってきました。40歳を超えたとき、中京の支店長になりました。その4年間は、思い描いていた地方銀行の仕事そのものでした。お金を預かって貸すだけの商売ではなく、いろんな会社に必要な情報をお伝えしたり、提案をしたり。社長の個人的な事や事業承継、従業員の採用など、さまざまな悩みを聞いて一緒に取り組むのです。お客様から非常に頼りにしていただき、地域での存在感を上げようと仕事をした、私の銀行員生活で一番充実した4年間でした。
小      原
地域の企業とダイレクトな関係があったのですね。
安      井
そうですね。
小      原
これからの銀行経営については、どんなところに一番注力したいですか。
安      井
一番大事なのは、やはり銀行の商品は「人」だということです。京都銀行の看板を背負っている行員一人ひとりの人間力が、京都銀行という組織を作ります。お客様がピンチに陥り、「本当に真剣に話を聞いてほしい」というとき、一番最初に頭に浮かぶ相手になりなさいと、行員にはいつも言っています。こう考えるのは私が同志社で中学から10年間教育を受け、人を大切にし、自由に発想して自分をピーアールすることを学んだからだと思います。
小      原
同志社には自由の気風があると言われます。ガミガミ指図をするのではなく、それぞれ自由に発想させ、行動させる。当然その責任は各自が負わなければなりませんが、同志社を同志社たらしめている、非常に重要な部分ではないかと思います。
安      井
同志社で教育を受けて本当に良かったです。それと卒業後に、同志社コミュニティはすごいと思いました。特に今の立場になってからの2年間、このネットワークには非常に感謝しています。
小      原
そのようなコミュニティの強さは、卒業してすぐには体感できないんですよね。しかし社会経験を積んでいく中で、横のつながりが見えてきたり、意図せずつながったりという形で実感されてきたのですね。
安      井
他の大学にはあまりない部分かなと思います。
小      原
そこは同志社大学として誇るべき点です。各界で卒業生が活躍してくださっているからこそ、同志社のブランド力が今も維持されていると思います。学生時代に何を学んだかはもちろん大事ですが、卒業後のつながりも非常に大事です。同志社は関西の一大学というよりは全国できちんと戦えている大学なので、実際、全国各地で活躍している卒業生がいます。このコミュニティの広さはしっかりと保ちたいですね。金融界で活躍している卒業生も多いと思いますが、今の金融業界に対する若者の関心はどうでしょうか。
安      井
ここ2、3年、また人気が戻ってきた感じがします。今は金利がつく世界に戻りましたし、決算内容やお給料の上昇などに学生さんは敏感です。でも我々の地方銀行の業態はメガバンクや信用金庫とは違いますので、そこに共感を持つ人に来てほしいですし、そういう人がそれなりに来てくれているのかなと思います。それと京都銀行は今、京都フィナンシャルグループになり、各業務のスペシャリストを養成しているんですね。例えばM&A業務、投資銀行のキャピタル業務、証券業務、コンサル業務など、昔は銀行の中にあった業務を切り分けて、別会社化しています。そこでスペシャリストになりたいという希望を持つ人たちも増えてきました。銀行に入れば支店長を目指すという、我々の時代からは変わりました。
小      原
いろんな専門領域が、かつて以上に増えてきたのですね。
安      井
選択肢が増えたので、明らかに離職率が減りました。

人に頼られる「記憶に残る人」を目指せ

小      原
金融は日本の近代化以降、非常に重要な役割を果たしてきました。同志社との関係では、新島襄の薫陶を受けた生徒の一人に深井英五がいます。深井は新島の下でいろんな影響を受け、最初はジャーナリズムで活躍した後に日銀に入り、第13代総裁になりました。当時は金融制度そのものが、まだ土台もないような時代です。まさに資本主義の黎明期に、制度設計に関わるなど活躍した同志社人がいたことを考えると、新島や深井らの精神を引き継ぐ同志社人たちが、今も金融の世界で活躍してほしいと願います。また新島が学生たちに望んだ事の一つは、知識をきちんとマネジメントする徳の高さや、志の高さでした。そのように志の高い人がどんどん輩出されてほしいと新島は願いました。安井さんのお話を聞いて、改めて「志」という言葉の重みを感じました。
安      井
私自身も自分の志を目指してやってきたし、今もそうです。うちの行員や部下には「記憶に残る人になれ」といつも言います。そして上司はそういう人材を育てなさいと言っています。それがうちのキーワードです。
小      原
記憶に残るような人になろうと思えば、当然、相手を尊重し、大事にし、そして話を聞かないとだめですからね。その積み重ねが大事ですね。
安      井
その通りです。その積み重ねも、崩れるときは一瞬です。人の記憶に残るというのは、その人にものすごく感動を与えている存在だからです。感動を与えるということは、本当にその人に寄り添い、その人のことを真剣に考えるということ。そして感じることを大切にする。人間的に魅力があり、「あの人でよかった」と言ってもらえる人をできるだけ増やしたい。私自身もそれを目指したいと思っています。それが人として生きる上で、すごく大事なことではないでしょうか。
小      原
人に頼られ、信頼される人物になろうというお気持ちですね。素晴らしいです。それこそが高い志だと思いますし、安井さんに頼りたいという人が現れてくれば、安井さんの志の高さが他の人にも影響を与えていくことになると思います。
安      井
今うちには4500人ぐらい従業員がいますが、この言葉はたぶん全員が知っています。こういう事を我々のグループとしては一番大事にすべきだと思っています。でないと、他の銀行と変わりませんから。

同志社が育む人間力で未来を拓いてほしい

小      原
金融に限らず、今の時代、どのような人物が求められていると思いますか。
安      井
今、世の中の先が見えないと、よく言われます。予測不可能な世界になり、多様性や柔軟な発想が求められています。例えばクイズ王のような人は求められていないと思います。「この問題の正解はこれだ」というような時代ではないからです。それはWikipediaやAIがやってくれます。要は、そこから得た材料を使って「私はこう考えるが、あなたならどう考える?」と伝える能力が求められているのです。自分の考えをちゃんと発信できる人が必要とされていると思います。
小      原
知識量や正確さだけではなく、自分の思いをしっかり伝えたり、あるいは覚悟を持って何か大切なことを語れたりする人ですね。
安      井
その通りです。知識は大事ですが、それだけではいけません。「次の展開はこう来ると思うから、こうじゃないですか」と発信できる人は、金融界だけでなく、世の中のいろいろな業態に求められています。そしてリーダーになるにしても、トップダウンではなく、皆の意見を聞きながら「でも自分はこう思う、こっちへ行こうよ」と言って引っ張れる人が求められている気がします。
小      原
確かにリーダーはそうでないとだめですね。しっかりと周囲の話は聞くけれども、やはり自分の意見を言わないと、周囲はついてきません。
安      井
信念を持ってやり遂げる力は、リーダーとして非常に重要です。
小      原
同志社大学で学んだ事を活かしてこられた方として、同志社大学に期待したい事はありますか。
安      井
「人としてこうあるべき」という人を輩出し続けることです。人に寄り添える、あるいは人の話を聴いて人をゆるせる。そういう人間を生み出す校風であり続けてほしいです。
小      原
それぞれの専門知識だけでなく、人格的な資質を備えた人が、これからも同志社大学から出てきてほしいということですね。
安      井
それが校風だと思うし、それが150年続いてきた同志社の魅力だと思います。それは伝統として守っていただき、そういう人を生み出すような大学、学校であってほしいです。
小      原
大事な点ですね。専門分野が多様化してくると、専門知識を教え込むことに偏りがちですが、そこに留まらず、人間全体の魅力を向上させていく教育の仕組みを持っているかどうかが問われます。最後に在学生に対して、メッセージをお願いします。
安      井
京都という世界都市にキャンパスがあるという大きな魅力が、同志社大学にはあります。そして何よりも、卒業生が作り上げている同志社のコミュニティは素晴らしい。人生において助けられることが非常に多いので、ぜひそれを大事にしてほしい。人とのつながりを大切にしながら、いつまでも同志社の卒業生であることを誇りに思って過ごしてほしいです。
小      原
本日はどうもありがとうございました。
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関連情報 同志社大学公式YouTubeチャンネル
対談動画は上記リンクよりご覧ください。