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京都で学ぶ、同志社で学ぶ
長かったコロナ禍を経て、同志社大学のキャンパスライフは日常を取り戻しつつある。まもなく創立150周年という長い歴史を持つ大学で学ぶ学生は、何を学び、何を感じているのか。同志社ライフの「いま」をお届けする本特集の初回は、キャンパスツアーガイドの学生7名にお話を伺った(所属などは取材当時のもの)。

キャンパスの魅力
同志社大学今出川キャンパスには、国の重要文化財に指定されている5棟の赤煉瓦建物があり、敷地内を歩くだけでも、その荘厳な雰囲気に圧倒される。まずは学生の皆さんに、キャンパスの魅力について伺った。


(画像)建物によってレンガの積み方に特徴がある。
- リ
- 初めて同志社に来たときに、西門に入ってすぐのところにある大きなヒマラヤスギの木の下でピクニックしている学生を見て、「ああ、いいキャンパスだなあ」と強く印象に残った。冬にはクリスマスツリーの飾り付けがされるなど、季節によって異なる表情を見せてくれるのがとても魅力的。
京都・同志社での学び
古都・京都には歴史的、また文化的にも多様な魅力を兼ね備えている。一方で京都は30以上の大学を有する「大学のまち」「学生のまち」でもある。豊かな環境の中で学ぶキャンパスライフについて、魅力を語っていただいた。

- 西川
私は京都出身だが、実は大学に入るまで行ったことのなかった史跡や寺社もあり、入学後改めてまわると色々な気づきがあった。
- 天野
いまは観光学に興味を持っている。おもに外国人観光客層について、観光地の知名度と実際の観光行動の関連などについて調べてみたいと思う。部活動で茶道をやっており、裏千家御家元の方に会う機会をいただくなど、京都でしかできない貴重な体験が多くできている。
- 佐藤
自身の出身地が杉原千畝(岐阜県)と同じということから、中学生のころリトアニア・ポーランドを訪れる機会があり、それを機に英語で外国人とコミュニケーションをとることに魅力を感じるようになった。今も国際交流のサークル(Good Samaritan Club)に所属しており、京都を訪れる外国人観光客に英語でガイドをすることなどをしているが、対面での英語コミュニケーション力がつくのと同時に、観光客も自分の母国についていろんなことを教えてくれ、自分自身の視野を広げることにも繋がっている。

- 足立
- 学部生のころは数百人の大教室で講義を受けることが多かったが、院生になってからは多くても3人など。自身は経済学を専攻しているが、歴史も好きで、研究に行き詰まったときなどはよく神社に訪れている(写真:御朱印)。頭がリセットされて、再び机に向かうことができる。そういう環境は京都ならではだと強く感じている。
- 松本
大学図書館もそうだが、植物園をはじめ文化的な施設がたくさん集まっている。街全体も広すぎず、程よいサイズなのも魅力的。
- 村上
- 季節ごとに多種多様で、かつ歴史の長いお祭がある。祇園祭はもちろんのこと、葵祭や時代祭など、近くで有名なお祭りが開催されていて、授業の合間にふらっと立ち寄ることもできる。いつか自分も参加してみたい。
- リ
- 院入学と同時に東京から京都に引っ越してきたが、やはり人間関係の距離感の近さや、地域の結束力が違うと感じる。ご近所同士でもお互いに仲がよく、生活しやすい。京都に住んでいると、ふらっと三条付近を歩いているだけでも本能寺があるなど、すごい史跡や寺社が身近にあたりまえにあることに驚かされる。
留学生の立場からすると、東京よりも日本人学生の割合が高いので、国際交流がとても活発にできることが嬉しい。

京都で学ぶということ、そして同志社で学ぶということ。それぞれの学生が自分なりの意味と価値を見出し、闊達に学んでいる姿が印象的だった。新島襄の志した「自由」と「良心」は間違いなく、今の学生にも息づいている。
<コラム>同志社の七不思議
同志社創立六十周年記念誌 『我等の同志社』によると、七不思議の概要は次のようである。
1、異変を告げる鐘・・・彰栄館の鐘を鳴らしていた生徒(ベル・マン―学校から給費をえた)が、急病で倒れた。刻々と鐘を鳴らす時が迫る。病床を抜けだし、鐘を鳴らしに行こうとするので、彼の友人が代りに塔にのぼり綱に手をかけようとした。すると鐘はひとりで鳴り始めた。そのとき病床のベル・マンは息を引き取ったのであった。その後、同志社になにか異変があるとき、鐘はそれを予告してひとりで鳴る。病死したベル・マンの霊が鳴らすのだ。
2、深夜のピアノ・・・かつて同志社女学校に、妙齢の外国人女性教師がいた。彼女は音楽室のピアノでショパンの曲をよく一人で弾いていた。ある年、彼女は病死した。それ以来、深夜の誰もいない音楽室から、夜な夜なショパンの小夜曲を弾くピアノの音と、すすり泣く女の声がきこえてくる。
3、葬列の掛声・・・若王子山頂へ新島襄のをかつぎあげるとき、雨ですべる山道を踏んばり踏んばりのぼる生徒たちの声は、いつか「わっしょ、わっしょ」という掛声になった。その声は山にしみいり、いまも深夜に登っていると、遠くなり近くなり掛声が聞こえてくる。
4、古井戸の怪・・・薩摩屋敷に忍びこんだ美人の密偵が、邸内の侍に発見されて片腕を切り落とされ、懐中の密書を守るため井戸へ身を投じた。彼女はそのとき懐妊していた。つるべの滑車を架して後、夜になるとそれが音たてて空回りし、井戸の底から、闇を切り裂くような赤児の泣声がきこえてくる。
5、西を向く石牛・・・菅公が太宰府へ左遷されるとき浪花まで荷物を運んだ牛が、主人を慕って動かなくなった。ある年、大津波が浪花を一掃した、その跡に化石した牛が坐っていた。それが人手から人手をへて同志社の構内に据えられたが、幾度向きを変えても、石牛は西方つまり太宰府の方に向き直る。
6、無限の階段・・・月を見ようとして、一人の作業員がクラーク神学館の塔を上ったが、いくら上っても階段は尽きず、翌朝、顔面蒼白になって内壁にしがみついていた。以後、同じ目的で上ろうとして、成功した者はついにいない。
7、夜中に開くドア・・・北寮の一室に、近来稀な勉強家がいたが、狂わんばかりに勉強をつづけたのち、床の下の井戸に入って死んだ。 彼の部屋は久しく空室になっていて、再び寮生が住みはじめると、固く締めておいたはずのドアが夜中にひとりで開き、寝ている寮生の帯が解けて、井戸のある床下へ垂れ下っているのである。
なんといっても、重要文化財が5つあるところ。こんなに歴史を感じられるキャンパスは他に類を見ないと思う。たとえば礼拝堂のプロテスタントならではの簡素な作りや、有終館や彰栄館などのレンガ造りの建物の造形美など、魅力は尽きない。
同じキャンパス内でも、イギリス人が設計したハリス理化学館、アメリカ人が設計した有終館や彰栄館、クラーク記念館はドイツ人が設計するなど、多様な建築様式があり、それぞれの個性が出ているのがとても魅力的。個人的には、特にクラーク記念館のゴージャスな雰囲気が好き。
ハリス理化学館がお気に入り。建物に入ってすぐに木の階段があるが、一説には棺を担いだ棺台が階段手すりに利用されたと言われている。建物全体の雰囲気も独特で、新島の「人一人ハ大切ナリ」の言葉にもあるように、学生を大切にした新島の精神が受け継がれているような雰囲気がある。とても同志社らしい建物だと思う。階段の手すりの話など、ストーリーはキャンパスツアーでよく話すが、他にも同志社の七不思議(※)があり、そういったストーリーは歴史のある大学ならではだし、面白いなと思う。
キャンパスについては、建物全体の美しさももちろんだが、細かい部分にも目を向けると新しい発見がある。例えばレンガの積み方。イギリス、アメリカの要素が入った館でそれぞれ積み方が違うし、図書館はレンガ風のタイルになっているなど、それらを掘り下げていくのも面白い。