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頑張る人を鼓舞し続けて120年 ~同志社大學應援團~(前編)

150年におよぶ同志社の歴史において、実に120年近くにわたって活動を続ける団体がある。應援團だ。体育会に所属するチームや選手を中心に、同志社に在籍する学生、さらに学外の人々をも鼓舞し続けてきた應援團。その中核を担う團長の花川美結さん(同志社女子大学表象文化学部4年)と、水谷菜沖さん(同志社大学文化情報学部3年)、加藤康生さん(同理工学部2年)、藤田健太郎さん(同心理学部2年)に話を伺った。

2025年8月6日 更新
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應援團のみなさま

3つの部が一体となって應援團を組織

ouendan-4.jpg (115314)花川團長
花川
同志社大學應援團は、吹奏楽部とチアリーダー部、そして私たち指導部という3つの部活からなる組織です。現在、吹奏楽部が約80人、チアリーダー部が約30人、指導部が8人という、総勢約120人で活動を行っています。

活動の大きな柱は、体育会に所属するチームの応援を行うことです。3~5月には準硬式野球部や硬式野球部などの春季リーグが行われ、なかでも5月末に開催される立命館大学との「同立戦」は私たち應援團にとっても非常に大きなイベントです。同様に9~10月には秋季リーグがあり、10月末には秋の同立戦が開催されます。6月には関関同立の4大学と近畿大学、京都大学による連盟対抗試合があり、ここでの応援も重要な役割です。リーグ戦以外の時期にも、各部からの依頼に応じて大会などに赴き、応援を行っています。

このほかに應援團ならではの活動として、9月に行われる「連盟祭」があります。これは関関同立4大学の應援團によるステージイベントで、昨年は京都駅ビルで開催しました。2025年は大阪城音楽堂での開催を予定しています。11月には大学祭「同志社EVE」に出演。そして12月には、「アトムフェスティバル」が開催されます。室町キャンパスで行われるこのイベントは、私たちにとって1年間の集大成となるもの。指導部、吹奏楽部、チアリーダー部がそれぞれに、そして3部が一体となって迫力のあるステージを披露しています。

これらの活動の合間には、企業などを訪問して応援を行うといった活動を行っています。ホテルなどで開催される周年記念行事や祝賀会などに招いていただき、パフォーマンスを披露しています。

水谷
同志社大學應援團は1906年に創部しました。最初は相撲部の応援を目的として組織されたと言われています。花川團長は117代目の團長になります。
花川
團長は指導部の部員が務めることが伝統です。しかし現在の4年生に指導部の部員がいなかったため、チアリーダー部に所属していた私が指導部と兼務し、團長を務めることになりました。

今年の應援團のテーマは「結」です。團長をはじめとした幹部を指導部以外の部の出身者で務めなければいけないことは、應援團の歴史でも非常にまれなことです。大変な状況であるからこそ、3つの部がしっかりと結びついていこう、卒業生との結びつきで乗り越えていこう、体育会各部との結びつきを大切にしよう、そしてなにより、團員同士がしっかりと団結しようという思いを込めました。

同志社大學應援團の團長は伝統的に、応援中に笑顔を見せず緊張感をもって全体を見守っていました。しかし指導部出身ではない私に同じことはできませんし、すべきではないと考えています。逆に、チアリーダー部出身の團長という、私だからこそできることを追求しています。具体的には、團長が頑張る姿を見せることで、みんなを引っ張っていこうと考えています。

自分を律し、他者のために努力することで出会う新しい自分

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左から、花川團長、水谷さん、藤田さん
水谷
私は小学生の頃から野球をしていたこともあって、応援というものを比較的身近に感じていました。高校野球の試合を甲子園に見に行くこともあり、そのときも応援に興味を引きつけられました。大学で應援團に入ることになる大きなきっかけになったのは、父の母校の大学祭に行ったことです。このとき、大学の応援団を目の当たりにし、「かっこいい!」と衝撃を受けました。父が誇らしげに母校の応援歌を歌っている姿にも憧れました。受験の時期には、「大学生になったら應援團に入ろう」と決めていました。
藤田
高校3年生の春にサッカー部が全国大会に出場し、応援に行きました。これが私と応援との初めての接点です。すごく盛り上がったことが記憶に残っています。應援團に入部するきっかけになったのは、新入生歓迎イベントで、野球部の応援ツアーに参加したことです。袴姿で応援を指揮する指導部の先輩方の姿がとてもかっこよく見えました。指導部の役割は、言ってみればステージを作ることです。そこにおもしろさを感じたことも、入部の動機になりました。
加藤
私も藤田さんと同じく、新入生歓迎イベントで、野球部の応援ツアーに参加したことが應援團に入ったきっかけです。スタンドの盛り上がりがすごくて、それを指揮している應援團の姿に憧れ、指導部への入部を決めました。
現在は旗手を務めています。團旗は應援團の象徴的な存在。堂々と風になびき、團旗に描かれた同志社の徽章が相手スタンドに向かってしっかりと見えるように心がけています。
花川
私は中学校と高校ではダンス部に所属していました。同志社の應援團を知ったのは、当時の先輩が同志社に進学してチアリーダー部に所属したことがきっかけです。ユニフォームがすごくかわいくて、「私も同志社に行ってチアリーダー部に入る」と決めていました。 應援團で活動するうえでのやりがいは、何と言っても選手やイベントに招いていただいた企業の方からの「ありがとう」「かっこよかった」という声です。これが私の原動力になっています。関関同立の4大学間での結びつきも、私にとっては大きな財産です。團長ならではの悩みを共有し、互いに励まし合うなど、切磋琢磨できる素晴らしい間柄です。
ouendan-9.jpg (115319) 水谷さん
水谷
應援團の一員として過ごす大学生活は、「やりがいしかない!」と断言できるほど充実しています。特に私が魅力を感じているのは、体育会の選手や企業の方とのつながりを深められることです。高いレベルでの競技に打ち込んでいたり、ビジネスの最前線で活動したりしている方たちからは、たくさんの学びや刺激を得ることができています。
藤田
團の道具を扱うときは素手ではなく手袋を着用し、しゃべってはいけないなど、應援團には特有の規律があります。今はもうないのですが、昔は「合宿では眠ってはいけない」という、嘘のような本当の決まり事もあったそうです。確かに厳しい一面はあるのですが、応援には体力も精神力も人並み以上のものが求められます。自分を律することができないと、選手や観客を鼓舞することができません。そういった環境に身を置くことで私は、高校時代までには思っていなかった、新しい自分を見つけることができました。自分から前に出て行動する積極性と責任感が生まれました。
加藤
選手と観客が一体になり、試合を盛り上げるところに應援團のやりがいを感じています。盛り上がったうえに試合に勝ったとなると、そのときの達成感は最高です。