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高みを目指すアスリートの活躍を、学内外へ広く紹介 ~スポーツアトム編集局~(上)
同志社大学では50を超える団体が体育会に所属して活動を行っている。団体の規模や活動の舞台、競技の知名度は様々だが、いずれの団体に所属する学生も、ひたむきに情熱を傾け、今以上の高みを目指していることに違いはない。その姿を多くの学生や教職員、卒業生、ひいては社会へと伝え、ときに厳しく、ときに優しく声援を送るのが、体育会機関紙を発行する「スポーツアトム編集局」だ。編集長の矢部彩香さん(文学部3年)、主務の近藤真子さん(政策学部3年)、硬式野球部担当班班長の黒田周良さん(商学部3年)に話を伺った。
2025年6月19日 更新

年間6回の発行に加え、webサイトで多彩な情報を発信

- 矢部
- 私たちスポーツアトム編集局は、同志社大学唯一の体育会機関紙である「同志社スポーツアトム」を制作・発行しています。創刊は1978年。私は47代目の編集長を務めています。現在、部員は2年生と3年生の合計25人。そこに毎年、1年生の新入部員が10~15人ほど加わります。
- 近藤
- 私たち部員は、体育会各団体の試合を観戦し、インタビューや写真撮影を行ったうえで記事の執筆や紙面レイアウトなどを行っています。試合以外にも、日頃の練習やシーズン前のキャンプでも取材を行っています。関西圏で行われる試合だけでなく、関東など遠隔地で行われる大会に同行して取材をすることもあります。
- 黒田
- 発行は、新入生歓迎号(4月初旬)、硬式野球号(5月末)、春季結果号(7月初旬)、夏季結果号(9月初旬)、硬式野球号号外(10月中旬)、ラグビー特集号(11月末)の年6回です。春と秋の硬式野球号は硬式野球部の同立戦を特集する号です。硬式野球とラグビーを軸にしながら、シーズンごとのリーグ戦や大会にフォーカスする年間ラインナップになっています。
- 矢部
- 6回の紙面に加えて、webサイトでは随時情報発信を行っています。本学体育会では数多くの団体が活動しており、紙面だけでは紹介しきれません。大会などの時期が紙面の発行時期とずれてしまうケースもあります。そういった団体や活動にも注目してもらうため、webサイトを活用しています。紙面は発行回数が限定されることに対して、webサイトは回数の制約や印刷コストの心配もありません。そこでwebサイトでは、取材後3日以内に記事を掲載するという、スピード感を大切にしています。
- 黒田
- スポーツ新聞は一般的に、新聞ごとにひいきのチームがいるものです。大学の新聞は言うまでもなく自分の大学のチームを応援します。そのため、勝ったときは華々しく書きますし、負けたときも「惜敗」「あと一歩」など、必ずしも現実とは一致しない表現を使いがちです。それに対して私たちアトムは、負けは負けとして認め、ありのままの表現で書くことが多いです。現実を直視することで選手の奮起を促そうというのが、アトムの伝統的な編集方針です。2023年11月に発行したラグビー特集号は、第17回大学スポーツ新聞コンテストで最優秀賞と原稿賞を受賞しました。ラグビー部の近年の伸び悩みに正面から斬り込んだことが評価され、受賞にいたったこの号は、アトムの方針を象徴していると言えます。
うれしいときも悔しいときも、節目の瞬間に立ち会う

- 矢部
- 私は大学入学にあたって、サークルよりももう一歩踏み込んで活動できる団体に入りたいと思っていました。野球が好きで、新聞記者になりたいという夢もありました。それらにマッチするのが、体育会に所属する団体であるアトム編集局でした。
- 近藤
- 私は高校時代は、ラクロスに打ち込んでいました。大学でも体育会ラクロス部に入部しようかと考えたのですが、活動場所が京田辺キャンパスで、今出川キャンパスから練習に通うことは難しいため断念。でもやっぱりスポーツが好きで、スポーツに関わっていたいと思っていたところ、アトム編集局に出会いました。
- 黒田
- 私は高校時代は硬式野球をしていました。野球は大好きなのですが、さすがに同志社大学でプレーするにはレベルが違いすぎます。そこで考えたのが、メディアの仕事をしたいという将来の夢。野球をはじめとしたスポーツが好きという気持ちと、メディアに関係した活動をという思いに当てはまるのが、アトム編集局でした。
- 矢部
- スポーツは好きなのですが、実は私はスポーツ経験があまりありません。そんな私が担当することになったのが、フィギュアスケート部。同志社大学のフィギュアスケート部は強豪校で、全国レベルで活躍する選手も少なくありません。そんな選手を相手に、フィギュアスケートはおろかスポーツの経験すらない私が取材をするなんて……と、最初は緊張の連続でした。でも、取材を重ねるにつれて選手の皆さんが私の顔を覚えてくれました。フィギュアスケートの大会は、関西からは離れた場所で行われることが多いです。他部活に比べて取材に行く機会が多くなかった中で、今年は部員の方に「この大会もぜひ取材に来てください!」と言ってもらえたことが心に残っています。取材に何度も足を運んだことで、このように選手の方と信頼関係を築けたのが思い出深いです。

- 近藤
- 私の担当部の一つは軟式野球部です。思い出深いのは、2024年の春季リーグで5年ぶりの優勝をしたこと。その試合に私は立ち会うことができました。試合の行方を左右するプレーの瞬間の表情をとらえた写真を撮ることもできました。歴史的瞬間を自分の目で見ることができるという、忘れられない日になりました。
- 黒田
- 私は逆に、他校に優勝をさらわれる瞬間に立ち会ったことが印象に残っています。2024年の春季リーグで、硬式野球部は三つ巴の優勝争いを展開しました。そして迎えた大一番。同志社は破れ、対戦相手が優勝を決めたのです。その日、私はカメラマン席で撮影をしていました。ファインダー越しに見つめた、悔しそうな選手の表情が目に焼き付いています。編集部員の役割としてシャッターを切らざるを得ないのですが、なかなか気が進みませんでした。そして、「次こそは優勝してほしい。次は優勝の瞬間を撮影したい」と強く思いました。