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History of DOSHISHA #4 〜150年の歴史をたどる〜

「温故知新」。未来への挑戦の指針を学びとるべく、積み重ねてきた歴史をたどる。同志社は新島襄を中心に、幾多の困難を乗り越え、志を同じくする人々の祈りの中から誕生しました。「150年の歴史をたどる」第4回は、京都という地の利を生かし、連綿と受け継がれてきた伝統文化を紹介します。

2025年9月11日 更新

赤煉瓦のキャンパスに、日本の伝統文化の伏流水。

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キャンパスの端にひっそりと佇む「寒梅軒」。
約150年前に建てられ、維新の際には会津の松平容保や一橋慶喜など徳川要人の密議の場となったと伝わっている。

同志社のキャンパスといえば、赤煉瓦。とりわけ彰栄館、礼拝堂、有終館、ハリス理化学館、クラーク記念館の5棟は明治期に建てられ、「同志社らしい」風景を醸し出しています。キリスト教主義、自由主義、国際主義という理念ともあいまって、その“西洋風”のイメージは、多くの方に共有されているのではないでしょうか。
では、そのキャンパスにあって、純和風の茶室建築がひっそりと佇んでいるのはご存じでしょうか。幕末、二条斎敬が関白になった際に、現在の同志社女子大学今出川キャンパスのあたりに新築された二条邸、その一角に設けられたのがこの茶室でした。1954年、女子大増築のために移築され、裏千家14代淡々斎宗匠によって新島襄の漢詩「庭上一寒梅 笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁」から「寒梅軒」と命名されました。
クラーク記念館の北隣、一般の学生はあまり足を踏み入れないエリアですが、現在も同志社大学茶道部の稽古場として活用されています。「寒梅軒の至る所に歴史、先輩たちの思いが込められているのを感じます」と、茶道部現幹事長の高岡さん。落ち葉一つなく掃き清められた露地や磨き上げられた床柱などからは、彼らがこの茶室を大切に思い、守り続けていることが感得されます。日頃、茶道部の茶会に菓子を提供している和菓子の老舗・俵屋吉富の社長も、同志社の卒業生だそうです。

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茶道部に大事に保管されている八重ゆかりの茶道具。
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同志社と茶道の関わりは深く、新島襄の妻・八重は裏千家13代円能斎に入門し、宗竹の茶名と各種許状を得ています。襄も八重も武家の子弟でした。日本的な伝統についての基礎的な教養は、若い頃にある程度は身につけていたと考えるのが自然でしょう。また、伝統文化の中心地である京都に高等教育の道を開いてきた同志社には、茶道のみならず華道や能・狂言をはじめとする伝統芸能や伝統工芸、仏教寺院などの後継者が、陸続と入学してきました。

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茶道部は同志社創立150年の時に創部89年を迎える。
美しい作法や所作は、八重をルーツに先輩から後輩へ、受け継がれてきたものだ。

同志社創立130周年にあたる2005年、能楽部OBによって新作能「庭上梅(ていしょおのんめ)」が制作・初演されました。茶室「寒梅軒」と同じく、襄の漢詩に取材した題名です。最晩年、病床にあった襄が夢幻のうちに苦難の体験と大学設立への大いなる志を語るもので、近代的な主題を古典的な能の骨法に昇華して好評を博しました。
キリスト教主義に立脚しながらも、その緩やかな宗教性のうちに多様な価値観を受け入れてきた、同志社150年の歴史。そこには、伏流水のように日本の伝統文化が受け継がれているようです。