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History of DOSHISHA #6 〜150年の歴史をたどる〜
「温故知新」。未来への挑戦の指針を学びとるべく、積み重ねてきた歴史をたどる。同志社は新島襄を中心に、幾多の困難を乗り越え、志を同じくする人々の祈りの中から誕生しました。「150年の歴史をたどる」第6回は、同志社大学キャンパス(今出川校地)の外で活気づく「学生街」を紹介します。
学生街の記憶、そして新たな物語。
ゆったりとした川が流れ、周辺には昔ながらの商店街や純喫茶、古道具店などが点在する出町界隈。そこには、同志社大学今出川キャンパスの外に広がる「学生街」が存在しています。「学生街」とは、単なる大学周辺の商業エリアにあらず。そこは、学生たちの青春の舞台であり、学びの場でもありました。その象徴的存在だった喫茶店「ほんやら洞」の元店主で写真家の甲斐扶佐義さんは、界隈の変遷を知る人物です。
「出町界隈は、歴史をさかのぼれば流民の里でした。そうした土地柄が関係しているのか、いつの時代もこの街はどこか"行き場"を探している人が集まる雰囲気があるなぁと思って見ていました」
出町桝形商店街(1979年)出町界隈は、戦後から高度経済成長期、同志社大学や京都大学から近いこともあり、学生のための食堂や喫茶店、書店、下宿屋などが軒を連ねるようになり、「学生街」へと変貌していきます。「ほんやら洞」が開店したのは1972年。当時は、学生運動が盛んに行われており、学生たちは喫茶店や居酒屋といった「たまり場」で集会や議論を繰り広げていました。「ほんやら洞」には、詩人、シンガー、アーチスト、大学教員などが"たむろ"していたと甲斐さんは振り返ります。そのような「学生街」は、活気にあふれ、カウンターカルチャー的な若者文化の発信地でもありました。
キャンパス内には学生会館別館やラウンジなど、学生たちの居場所も確かにありました。全国から集まった学生たちにとって、それらは居心地の良い交流の場となっていたはずです。しかし、それだけでは満足できず、多くの学生が大学の外にも"たまり場"を求めていました。この現象は、甲斐さんの言う「流民の気質」のせいなのかもしれません。大学という制度化された空間を超えて、より自由で開放的な場所を求める学生たちの姿勢は、出町界隈の「学生街」の形成に大きく寄与したのでしょう。ただ、時代が進むにつれてインフラが発展し、ライフスタイルも大きく変わり、1980年代以降、かつてのような集いの場は徐々に姿を消していき、「学生街」の趣は薄れていきます。
「60〜70年代に学生だった人には、隔世の感がある出町界隈ですが、それも今は変わりつつあるんですよ。若い連中が、思い思いの店を出そうという動きがあってね。50年くらい前の状況が一回りしてやって来ている感じです。私もね、『ほんやら洞』のような、新たな集いの場を再び作ろうと考えているんですよ」
「学生街」は、時代とともにその形を変えながらも、本質的な魅力を失うことなく進化を続けています。この地に根付いた自由と創造の精神は、これからも新たな文化を生み出していくことでしょう。
甲斐 扶佐義
1949年、大分市生まれ。11歳で写真開始。1968年同志社大学法学部政治学科入学。1972年仲間と共に喫茶「ほんやら洞」開店。1977年写真集「京都出町」出版。1978年米国エバーグリーン州立大学で写真展。1985年バー「八文字屋」開店。2009年京都美術文化賞受賞、2014年パリ・ボザール展ジャン・ラリヴィエール賞受賞。2023年度京都府文化賞功労賞受賞。主な写真集「ほんやら洞 70年代京都」「Beautiful Women in Kyoto」「京都ほんやら洞の猫」「パリちょっと見ただけ」等。