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“D”iscover -History-

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History of DOSHISHA #7 〜150年の歴史をたどる〜

「温故知新」。未来への挑戦の指針を学びとるべく、積み重ねてきた歴史をたどる。同志社は新島襄を中心に、幾多の困難を乗り越え、志を同じくする人々の祈りの中から誕生しました。「150年の歴史をたどる」第7回は、同志社大学キャンパス(京田辺校地)の新設と町の発展にスポットを当てます。

2025年12月4日 更新

田園風景の中に大学が!?
忽然と姿を現した赤レンガ色の建物群

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校舎の建設計画に描かれた「大学田辺学舎」の完成予想図

今からおよそ40年前、京田辺市は綴喜郡田辺町と呼ばれる人口は4万5千人ほどの町でした。北部では住宅開発が進みつつあったものの、道路や公共交通の便も良いとは言えない状況だったのです。そのような田園風景の広がる町に、大学がやってくるという話が持ち上がります。

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97万㎡に広がる田辺用地 -東側から見た用地-

大学ができれば、若者が集い、町に活気が生まれる。そんな希望のもと、行政と大学との調整が精力的に進められました。しかし、当時の田辺町はまだ「大学を迎えるポテンシャルが未知数」という雰囲気で、課題は山積み。まず、移転予定地に近い鉄道駅はなく、アクセスが懸念されました。さらに、農地が広がる地域だったため、「水質への影響は大丈夫か」と不安を抱く声も少なくありませんでした。そこで住民説明会を開き、地域の理解を得るための努力が続けられました。そうやって、これらの課題を一つずつ乗り越え、1986年に同志社大学と同志社女子大学が京田辺キャンパス(当時は田辺校地)を開設。同志社国際高校も加えて一大教育拠点が誕生しました。

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開設当初、同志社大学の京田辺キャンパスは1・2年次生のための場所でした。94年に工学部(現理工学部)が大学院を含めて全面移転するまでは、学部の本体は今出川にあり、キャンパスとしてはまだ発展途上でした。しかし、2000年代に入ると京田辺キャンパスに新学部が次々と開設されていきます。05年に文化情報学部、08年には生命医科学部とスポーツ健康科学部、翌年には心理学部、そして11年にはグローバル・コミュニケーション学部が開設され、現在は6学部体制を確立しています。一方、同志社女子大学も、短期大学部の設置や学芸学部音楽学科の移転を通じて、京田辺キャンパスの拡充を進めてきました。1988年には学校法人同志社創立111周年を記念した新島記念講堂が完成し、パイプオルガンの響く文化的拠点へと成長。さらに2000年には、創立125周年記念事業として友和館を建設しました。

大学開設後、人口は急増し、2020年の調査では約7万3千人にまで増加。今なお発展を続けています。2005年には同志社大学・同志社女子大学・同志社国際中高と京田辺市の間で包括協定が結ばれ、教育、文化、福祉、スポーツ、産業振興など、幅広い分野で連携が進行しています。かつて田園風景の中に忽然と現れた赤レンガの建物群は、今や京田辺の丘陵に溶け込んでいます。スポーツ・コンプレックスの建設や京田辺キャンパスのリニューアル事業などが今後に控え、発展はこの先の未来へと続いていきます。

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