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「配慮義務」の理論化の先に見つめる、幸せな働き方が実現する社会~同志社大学 若き研究者の挑戦~(前編)
「配慮義務」の理論化の先に見つめる、幸せな働き方が実現する社会~同志社大学 若き研究者の挑戦~(前編)
同志社大学は、多様化・複雑化を増す社会課題に挑戦し、新たな領域の開拓やグローバルな活躍を目指す若手研究者を支援すべく、「同志社大学大学院博士後期課程次世代研究者挑戦的研究プロジェクト(SPRING)※」を実施しています。支援の対象となるのは、自由で挑戦的・融合的な研究に意欲的に取り組む博士後期課程の学生。研究活動に専念して研究力の向上を図ることができる環境の整備やキャリアパスの確保に向け、多彩な支援を一体的に受けることができます。同プロジェクトの支援を受けながら研究に取り組む、法学研究科私法学専攻博士後期課程2年次生の木内大登さんにお話を伺いました。
※本プロジェクトは国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の次世代研究者挑戦的研究プログラムの採択を受けて実施しています。
テレワークは労働者の権利? 使用者は出社を命令できる?
労働法を対象として研究しています。なかでも労働契約における使用者の「配慮義務」が大きな研究テーマですが、その1つの出発点となったのが、博士前期課程から取り組んできたテレワークに関する研究でした。
コロナ禍をきっかけにして、日本でも、自宅で仕事をするテレワーク(在宅勤務)が広がりました。まったくオフィスに出勤しない「フルリモート」という働き方を採用する企業もみられますが、最近では「出社回帰」の動きも広まっているとの報道も見受けられます。しかし、現状では、例えば、週に2~3日出社して残りの日は自宅でテレワークを行う「ハイブリッド型」も多くなっているように思います。
働き方の一種として定着したように思えるテレワークですが、実は問題もはらんでいます。例えば、「テレワークをしたい」という労働者と、「出社してください」という使用者(企業側)の意見がぶつかってしまうケースがあります。実際、使用者による出社命令の有効性が裁判で争われた例もあります。ではいったい、テレワークは労働者の権利なのでしょうか?それとも使用者に指示されたら、労働者は出社する義務があるのでしょうか?現在の日本には、一般的なテレワークの権利も、出社命令に従う一律の義務も定めた法律はありません。2025年4月から、3歳未満の子を養育する労働者や、家族を介護する労働者がテレワークを選択できるよう措置を講じることが、事業主の努力義務になりましたが、権利を認めるものではありません。解釈論上も、一律に権利として認めることはできないという理解が前提とされてきました。それでも、育児や介護などの事情から、労働者がテレワークを強く必要とする場合もあります。こうした事情を労働契約上どのように考慮すべきか。その手がかりとなるのが、使用者の「配慮義務」です。
配慮義務はワークライフバランスの実現や豊かなキャリア形成とも関係が深い
労働契約の中心的な義務は、労働者が労務を提供し、使用者が賃金を支払うことです。これらの「主たる義務」に加え、労働契約にはさまざまな「付随義務」が伴います。その代表例が、使用者が労働者の利益に配慮する「配慮義務」です。労働者の生命や健康を守る安全配慮義務や、ハラスメントを防止する職場環境配慮義務がこれに当たります。従来、配慮義務は、このように労働者が傷つけられることを防ぐ義務として考えられてきました。今年公表した論文では、ドイツの議論を参考に、育児や介護の事情からテレワークを希望する労働者について、テレワークを認めることが配慮義務の内容となり得ると指摘しました。ただし、それは、テレワークができなければ仕事を続けること自体が難しく、かつ、テレワークを認めても使用者の利益を不当に侵害しないと評価できる場合に限られます。この場合、テレワークを認めることは、労働者が仕事を続けられなくなるという不利益を防ぐものであり、従来の配慮義務の延長線上に位置づけることができます。
これに対し、出社することはできるものの、育児や介護と仕事をよりよく両立するためにはテレワークが望ましいという場面では、別の問題が生じます。そこでは、労働者が仕事を続けられなくなることを防ぐだけでなく、仕事を続けながら自らの生活を築くことまで、使用者が積極的に支えるべきなのかが問われるからです。このような、「守る」ことを超えて「支える」配慮を、そもそも配慮義務の問題として法的に位置づけられるのか。その根拠をどこに求めるのか。また、労働者に配慮を必要とする事情があっても、使用者の業務や組織運営への影響、費用や負担も考慮しなければなりません。労働者の利益と使用者の利益をどのように調整するのか。テレワークの研究は、こうした問いを残しました。
さらに、このような問題が生じるのは、テレワークの場面だけではありません。私生活上の事情への配慮は、遠隔地への転勤を命じる場面にも共通する課題です。また、労働者の働き方に関する価値も変容し、主体的なキャリア形成がこれまで以上に重視されるなかで、使用者が労働者の能力開発やキャリア形成をどこまで支えるべきかも、配慮義務との関係で検討する余地があります。
このように、配慮義務には、いわば従来認められてきた不利益や権利侵害を防ぐ「侵害防止型」と、その範囲を超えて労働者の主体的な生活やキャリア形成を支える「自律支援型」という2つの側面があるとみることができます。労働契約は、労働者が使用者の指示に従って働く契約であり、そこには構造的な不均衡があります。労働法は、この不均衡を是正し、労使の実質的な対等を実現するために発展してきました。他方で、働くことは、生活や生き方の基盤でもあります。働き方が使用者の判断に一方的に委ねられれば、労働者の生活や将来の選択まで大きく左右されかねません。そうであるならば、労使の実質的な対等には、労働者が自らの生活や将来について一定の選択可能性をもつことも含まれると考える余地があります。まだ答えの出ていない問題ですが、こうした観点から、配慮義務の2つの側面を統一的に位置づけつつ、その内容と限界を明らかにすることが、私の研究の目標です。
この問題を考えるにあたって、手がかりとなるのが、ドイツ法の議論です。日本には、契約当事者が互いの利益に配慮する義務を一般的に定めた条文はなく、配慮義務は、信義誠実の原則という一般的な規定を通じて、解釈によって認められてきました。これに対してドイツでは、相手方の権利や利益に配慮する一般的な義務が明文化されています。さらに、発展の途上にある議論ですが、労働者を害から守るだけでなく、その利益の実現に向けて積極的な措置を講じる「促進義務」という考え方も現れています。ドイツにおいて、配慮義務の内容と限界がどのように論じられてきたのかを検討することは、日本における使用者の配慮義務をめぐる理論枠組みを考えるうえでも重要な示唆を与えてくれます。
ルールブックから芽生えた法律への興味
ルールブックから芽生えた法律への興味
法律に興味を持ったきっかけの1つは中学生のときの経験です。私は小学生の頃から野球をしていたのですが、中学生で初めて野球のルールブック(公認野球規則)を手にしました。そこには、それまで自分が、意識すらせず当たり前のように行っていた、ありとあらゆるプレーの根拠が書き記されていました。そうしたルールが文章として体系的にまとめられ、そこで用いられる言葉の意味も明確に定義されていることに、何とも言えない心地よさを感じたことを、いまもはっきりと覚えています。その後、「社会のルールである法律もきっと同じような感じなんだろうな」と考えたことから、法学部への進学を決めました。
大学の学部時代には、現在の指導教授である同志社大学法学部の土田道夫教授のゼミに所属し、労働法を本格的に学ぶようになりました。みんなで議論しながらレジュメを作り、毎週のディベートで意見を交わすことが、とても面白かったです。大学院博士前期課程への進学を決めた大きな理由は、同志社大学大学院法学研究科に、民間企業の法務部門への就職を志望する学生を対象とした「企業法務プロフェッショナル育成プログラム」があったことです。当初は、このプログラムで学んだ後、民間企業に就職することを考えていました。しかし、博士前期課程1年次に、授業で報告したテレワークに関する裁判例の判例研究をもとに、指導教授と共著で論文を執筆する機会を得ました。その執筆と就職活動を並行して進めるなかで、将来の進路を改めて考えるようになり、研究で得られるワクワク感がどうしても忘れられず、博士後期課程に進むことにしました。振り返ると、これまで自分が面白いと感じ、夢中になって取り組んできたことが、現在の研究へとつながっているように思います。また、節目ごとに指導教授からいただいた言葉や、次の一歩につながるさまざまな機会を与えていただいたことも、現在の道を選ぶうえで大きかったと感じています。