“D”iscover -Opinion-


キャンパスの樹木で学ぶコモンズの経済学―樹木マップで「身近な自然」を取り戻す(前編)
キャンプやハイキングなど、自然の中で楽しむアクティビティーが世代を問わず人気を集めています。その一方で、「自然とは、お金と時間をかけてわざわざ楽しむもの」という風潮も生まれ、日常との距離は遠ざかる傾向もあります。いったい自然とは誰のものでしょうか? どのような関わり方が望ましいのでしょうか?この問いに対して「コモンズ」という概念に着目して研究し、同志社大学のキャンパスを舞台にして自然へのアクセスを後押しする活動を展開する、経済学部経済学科の三俣学教授にお話を伺いました。
経済社会の基盤としての「共」(コモンズ)
私の専門とするエコロジー経済学は、「人間の経済社会は自然の一部である」との認識から出発する点で標準的な経済学とは異なっていて、清浄な空気や水土をはじめ豊かな生態系がなければ、そもそも人間の経済は成りたたないと考える点に特徴があります。私はこれまで、エコロジー経済学の1領域をなすコモンズの研究を学際的に進めてきました。標準的な経済学を含めこれまでの社会科学では、私たちの経済社会を2つの部門からなるものと捉えてきました。競争を原理とする市場(私的部門)とその不十全さや弊害を権力により補完・是正する公的部門の2部門です。
ただ、現実社会はそう単純ではありません。その両者の枠には収まらない主体が経済社会の基盤にあります。それが、共同体の自治に基づくコモンズ(共的部門)で、競争による利潤最大化の原則でも、公的な権力に基づく統治の原則でもない領域です。より身近には、地域の子ども会だとか、お祭り、防犯活動などがイメージしやすいかもしれません。
村人たちは、地域ごとに異なる自然的な条件を考慮にいれた利用ルール・管理のルールを自分たちで創りだし、数世紀にわたって資源枯渇を回避してきたことがその理由です。現在のコモンズ論は、そういった自治の仕組みを現代の諸問題の解決に向けるべく拡張を遂げています。
たとえば、都市空間やデジタル資源などを「社会みんなのコモンズ」として、またグローバル・コモンズと呼ばれる大気や海洋などを「地球市民みんなのコモンズ」と位置づけ、持続可能性を高める制度が検討されています。こうなると、もはや入会のようなローカル・コモンズとは異なり、対象資源の規模や性質も大きく変化します。ですので、それを担う主体も、昔のように地縁共同体の手には到底負えません。地域や国を超えて自治力を発揮するNGOやNPOなど考えを共にする理念共同体が、国や市場に加えて重要な役割を担うことになります。
少し大きな話に立ち入りましたけれど、学生の皆さんにとっては、大学のクラブ活動やゼミなども、学生自らが自治することを基本とするという点で、「公」や「私」とは異なるコモンズの性格を持つものとして理解できるでしょう。そうして考えてみると、コモンズは、私たちの暮らしの周りに広がっていて、暮らしの基礎を支えているというふうに理解できるかと思います。
森林コモンズの衰弱していった過程―失った大切な眼差し
日本の森林コモンズである入会をごく簡単に説明しましょう。お話しましたように、村人が創った自治的なルールの下で管理され、順調に生育した樹木は、主として建材や薪として、また、下層低木や草は肥料として自給的に使われてきました。戦後、木材需要の急増や政府の拡大造林政策に背中を押され、村の森林コモンズも、将来、高値で売れることを夢見て、スギやヒノキの人工林に転換していきました。
ところが、その後、安価な輸入材が日本の木材市場を圧倒するようになると、国産材は売れなくなりました。村総出で続けられてきた森林コモンズの管理作業の手も徐々に減り、さらに止まってしまう状況も見られるようになりました。個人や企業の経営する私有林と同じように、放置される傾向をたどっています。放置に至る経緯のなかで、見逃せない変化があります。それは、森林の多様な機能や価値を、売れるかどうかの基準のみで判断する向きが急速に強まったことです。その考え方の浸透が、お話しした通り、自然の姿を大きく変えました。
長らく続いてきた多様な樹種からなる里山は、スギやヒノキのモノカルチャーの人工林へと転換されていきました。レクリエーションの場としての森、水源涵養や気候調整を担う森、山の神の宿る森、動植物を住処としての森。そのような多様な機能や価値をもつ森林を、木材生産の場、つまり利潤追求の場へとことごとく変えていったわけです。放置の進んだ人工林は、災害に弱いなど様々な問題を抱えています。特に、私が懸念しているのは、昨今の「若年層の自然離れ」が世代を超えて続く問題です。
「新しいコモンズ」の創造に示唆的な自然アクセス
森が生み出す恵みは、所有者以外の広く流域に暮らす人々に及びます。たとえば、その恩恵を受ける都市住民のなかには、所有者と一緒に森の手入れをおこなう森林ボランティア活動が全国的に広がっています。地縁共同体を超えて、様々な人たちが協働する「新しいコモンズ」を創る挑戦です。
ただ、そういった思いを持つ人たちが、所有者とすぐさま円滑な協力関係を築けるわけではありません。というのも「私の森林だから放置して何が悪いのか」と考える所有者も多いからです。また、協働が進みだしても、所有者との意思疎通を図りながら保全活動を続けていくのはとても難しいのです。積極的にかかわろうとする人たちの間でさえも、意見が合わないなどの温度差があって、うまくいかないこともあります。
こういった取り組みを進めるうえで示唆を与えてくれるのが、「自然アクセス」の考えです。自然アクセスというのは、ここでは「万人が自然のなかに身を置き、自然の恵みを享受すること」という程度に考えてください。たとえば、北欧や中欧諸国では、万人が他人の私有地に立ち入って、ウォーキングやベリー摘みを楽しむことのできる慣習や権利がひろく存在しています。北欧のように中世から続く慣習もあれば、英国のように1世紀以上にわたる議論を経て法律で権利として定め、自然アクセスを拡大している国もあります。そのような国々では、自然アクセスの慣習や権利の前提として、「自然を破壊しない」、「所有者のプライバシーを侵さない」という2大原則が据えられています。
万人が他人の土地で自分の好き勝手できるわけではありません。自然アクセスとして認められるのは、あくまでも散策をはじめとする自然を愛でる行為のみです。土地所有者と自然を愛でる目的でアクセスする人たちの間での、また、アクセスをする人たち同士の間での協調行動が、自然アクセスの仕組みを支えています。自然環境にアクセスできる場所を保全し広げていくことは公共の利益にも直結するので、行政もこの仕組みを支える重要なアクターとして協働しています。
先にお話しました「新しいコモンズ」の創造が必要とされる現在、私たちは北欧や英国の自然アクセスの仕組みから多くのことを学ぶことができると思います。私は、コモンズそしてその延長線上に展開してきた自然アクセス研究に基づく知見を今、教育の場で、どのように生かせるかを模索しています。学内樹木マップづくりは、その第一歩というわけです。