“D”iscover -Opinion-

クルマ同士、クルマと道路が通信することで自動運転技術は新たなステージへ(後編)

多様な専門性を持ち寄ることで 複雑な課題を解決し、普及を進める
高度な自動運転には、カメラやセンサーなどの情報収集機器、そこから得られた情報を分析する優れたデータ処理能力、実際のクルマの動きを制御するためのシステムやモーターなどの機器類といったように、さまざまな分野の技術が不可欠です。それらの多くで、日本は世界のなかでも高い水準を保っています。また、クルマの通信でも世界に先駆けて商用化しました。しかし、このクルマの通信のさらなる新技術では世界から遅れを取りつつあります。

クルマ同士やクルマと街がつながって自動運転をするには、大量の情報をやりとりする必要があります。高速大容量の通信環境が欠かせないのです。そこで世界の多くの国は、特別な無線LAN用の電波帯域を利用していますが、一方日本は、アナログテレビに利用していた帯域の一部を利用しています。この帯域は非常に狭く、大容量のデータを速く安定してやり取りするには厳しい状況です。
日本だけが違った帯域を使っていることも課題です。世界では共通の帯域を使っているため技術の相互利用がしやすく、開発の速度が上がります。利用者が世界中にいるのでコストダウンがしやすくなり、ユーザーにとっても低価格で利用できるというメリットが生まれます。電波のどの帯域をどの目的で使用するかというのは、国の施策でもあります。自動運転は技術的な課題だけでなく、政策的な課題とも密接に関わっているのです。
普及にあたっては、「どの分野から普及させるか」という課題もあります。地方の路線バスの衰退が深刻化していますし、ネット通販などの利用者増により物流業界では運転手不足の課題があります。そういった「サービスカー」と呼ばれる分野から普及を進めるべきだという意見もあります。
一方で、歩行者が巻き込まれるような自家用車による交通事故は後を絶ちません。そのような事故を防ぐために自家用車である「オーナーカー」から自動運転技術を活用すべきだという声もあります。いずれの課題もいち早い解決が望まれるのですが、一度に両方の解決を図ることは難しいです。ここでも、国の方針が大きな意味を持つのです。
このように、自動運転をはじめとした次世代のモビリティは「技術が進歩すれば実現する」というものではなく、その技術が社会に受け入れられることも重要です。私たちモビリティ研究センターに、総合政策学をはじめとした技術以外の分野の教授が所属しているのもそのためです。さまざまな分野の専門家が知見を持ち寄ることで、技術開発から普及までをトータルに検討しています。
「つながる」技術の未来は表裏一体。「良心」の重要性が増す
2025年大阪・関西万博に向けて注目が集まる「空飛ぶクルマ」にも、将来は自動運転技術が導入される予定です。自動運転は、これまでとはまったく異なる新しい交通のあり方を実現してくれる可能性があるのです。とはいえ、一朝一夕にそこまで行くかというと、決してそうではありません。ドライバー不足、地方における公共交通の消滅、交通渋滞など、現実に目の前にある問題を自動運転技術が一つひとつ解決していったその先に、今とは違った交通の姿が誕生すると考えています。
協調型自動運転技術がそうであるように、さまざまな機器がネットワークを介してつながることは、私たちの暮らしを便利で快適にする可能性を備えています。いっぽうで、つながるがゆえの問題も生じています。サイバー攻撃や個人情報の漏洩はその最たる例です。つながっていなければこれらの問題は起こりません。「セキュリティー対策のお金が不要になれば、もっと技術開発にお金が使えるのに。もっとコストダウンが進むのに」と思うこともしばしばです。

このような現実があるからこそ、同志社大学が大切にしている「良心」の重要性が高まっていると私は感じています。社会をより良くする。困っている人たちを助ける。そういった目標にこそ、技術を活用するのです。決して、自身の利益のためだけや、他者を傷つけるために技術を利用するのではありません。同志社大学の先生方とは、この理念を共有することができます。モビリティ研究センターをはじめとして、次世代の交通を考える場として同志社大学が優れているのは、「良心」という確固たるより所を持っていることだと感じています。

自動運転は発展途上の技術です。技術開発の過程では、事故やトラブルも起こっています。その受け止め方は国によってさまざまです。アメリカでは、「事故は悲しいことだし原因の究明は必要だが、開発は続けていく」という考え方が示されました。いっぽうで日本では、実証実験中のほんのわずかな出来事が“事故”として報じられ、実験がストップしてしまったという例もあります。現代社会の課題を解決する可能性がある技術に対して、アメリカと日本のどちらの考え方が適切なのでしょうか。
安全性の確立はもちろん大切です。しかし社会全体の未来を見つめることも大切です。このままでは、「石橋をたたいて渡らない」どころか、「石橋をたたいて壊してしまう」ということになりかねません。未来の可能性を自ら閉ざしてしまうのです。この点に関して議論が深まり、技術者を応援してくれる土壌が形成されることを期待しています。
佐藤健哉氏プロフィル
同志社大学理工学部情報システムデザイン学科教授。同学モビリティ研究センター長。1986年大阪大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了。1991~94年スタンフォード大学計算機科学科客員研究員。2000年奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科博士後期課程修了。2001年米国AMIC チーフテクノロジスト。04年より現職。