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同志社時報

同志社時報は、学校法人同志社が年2回(4月・10月)発行している機関紙です。

私の志

生産者が報われ、持続する未来へ 現場の一歩から食の基盤をつくる

開発経済に関心を抱いて政策学部へ。一貫して追究してきたのは「本当に必要なインフラとは何か」という問いでした。たどり着いたのは「食」と「農業」。土の香る現場で試行錯誤を重ねながら、持続可能な農業の仕組みづくりに挑む日々を伺いました。

田口沙緒理さん
いちごポタジェ株式会社 代表取締役社長
田口沙緒理さん

田口沙緒理さんプロフィール

1985年、大阪府生まれ。2008年、同志社大学政策学部卒業後、アクセンチュア株式会社に入社。その後、再生可能エネルギーのベンチャー企業勤務を経て、12年、いちご株式会社に入社。18年、農業支援事業を立ち上げ、宮崎県で展開。農林水産省が推進する「ローカルフードプロジェクト」に宮崎県の事業者と共に参画。23年「みやざきローカルフードプロジェクトアンバサダー」第1号。同年、グループ会社宮交シティが設立した農業法人「いちごポタジェ」の代表取締役社長に就任。




現場での実践が紡いできた一本の道

同志社大学政策学部への進学動機をお聞かせください。

高校時代、フィリピンの貧困地域スモーキーマウンテンを調べる機会があり、開発経済や貧困問題に興味を持ったのが原点です。自分の周りとはまったく違う環境を知り、状況を変えたいという強い問題意識が芽生えました。ただし一つの分野を深く掘り下げるよりは幅広く勉強したいという思いがあり、ちょうど開設されると知った政策学部への進学を決めました。

どんな学生時代でしたか。

阿部茂行先生のゼミで開発経済学を学びながら、AFSという国際教育交流団体でボランティア活動に打ち込みました。ホストファミリーを探す部署の責任者を務め、一人の留学生の未来やそこから育つ国際交流の芽を摘んではいけないという一心で、一軒一軒を訪ね歩いたものです。卒業後も約2カ月間、フィリピンのNGOで活動しました。ストリートで保護された女の子たちを学校で学べるようにするための施設で、ドレミさえ知らない彼女たちに音楽の基本を教えました。自分の当たり前が相手の当たり前ではないという現場での気づきは、今でも大きな財産です。

そこからITコンサルティング会社に就職されたのはなぜですか。

NPOやNGOに関わる中で、経営や資金繰りでつまずいて活動が困難になる現実を見て気づいたんです。志ある組織の継続にはビジネスの仕組みが必要だと。では自分が何に挑むかを考えたとき、根底にあったのは「インフラ」への関心でした。当時はITこそが現代社会の共通基盤だと考えてITコンサルティング会社に入り、東日本大震災を機に電力というインフラの重要性を痛感して、再生可能エネルギーのベンチャー企業に転職。その会社が現在の親会社の傘下に入り、事業継続に欠かせない財務を学ばせていただいてから、新規事業を模索する部署に移りました。そこで「本当に重要なインフラとは何か」を突き詰めて考えたんです。無人島へ行ったとして、IT・電力・お金がなくても人間は生きていけるかもしれない。けれど食べなければ、絶対に生きていけない。万人に共通する究極のインフラは「食」であり、それを生み出す「農業」であることに行き着き、社内ベンチャーとして農業支援事業を立ち上げました。

圃場に通う中で直面した課題と「アナログ×IT」

農業ではなく「農業支援」だったのですね。


親会社が不動産会社なので、最初はビニールハウスを所有して農家さんに貸し出す「農業の大家さん」というアプローチでした。ところがいくつかの失敗を経て、自分たち自身が農業生産の中身や苦労を理解しなければ、借り手の方々の事業を本当の意味で支えることはできないと痛感したんです。そこで2023年に立ち上げたのが、農業法人「いちごポタジェ」でした。現在は宮崎市を拠点に、冬場はイチゴ、夏場はライチやマンゴーといった希少果実の栽培を行っています。さらに、自社果実を使った直売所兼カフェの運営や、グループ会社が運営するJリーグチーム「テゲバジャーロ宮崎」の選手食堂での調理、スタジアムでのケータリング提供、親会社所有のホテルへの食材提供など、従来の農家の枠にとらわれない出口と結びついた取り組みを進めています。

農業の現場で直面している課題と、解決へのアプローチについて教えてください。

田口沙緒理さん

日本の農業従事者の平均年齢は67歳を超えています。高齢化や後継者不足で、生産現場は追い詰められています。私自身、食べることが大好きなので、このままでは安心して食べられるものが本当になくなってしまうという強い危機感があります。実際の現場では連日の猛暑や異常気象、台風、病虫害への対応など、予期しない問題の連続です。それが農業です。かといって、大がかりで高額なスマート農業は実情に合いません。現場で忙しく、デスクに着く時間もない若手メンバーたちが直感的に使える、現実的な仕組みが必要であると感じています。そこで作業や生育状況の写真など、日々の記録をAIに読み込ませ、「去年の今頃はこれをやっていたけれど、今年の準備は大丈夫?」と知らせてくれるような、現場でのアナログ作業とITを組み合わせたツールを、共創コミュニティで知り合った大手メーカーの方と共に開発に着手しています。いわば「AI秘書」ですね。日々の作業データが蓄積されることで業務の効率化が図れるだけでなく、農作業の感覚や技術を可視化することは、若手の技術継承にもつながります。ちなみにそのメーカーの方は、うちの会社に転職して活躍しています。

地域社会や地元の農家さんとは、どのような関係を築いてこられましたか。

新参者の私を、宮崎の皆さんは本当に温かく受け入れてくださいました。地元の飲食店との連携も深めています。お蕎麦屋さんから鰹節のだし殻、お寿司屋さんからは昆布のだし殻をご提供いただき、果物の旨味を引き出す高品質な自家製有機肥料にして、ハウス栽培に活用しています。そのお蕎麦屋さんは、うちで育てたライチでデザートをメニュー化してくださるなど、素晴らしい循環が生まれています。今の日本の農業は、農家同士でライバル視し合うような段階ではなく、地域全体で手を取り合って生き残りを図る局面に来ています。出荷量が足りないときは近隣の農家さんが融通し合ったり、「有機農業の町」を推進している綾町の農家さんと環境保全型農業の未来について語り合ったりと、横のつながりが大きな支えになっています。新しい就農者を増やす取り組みも大切ですが、まずは「今頑張っている方たちの離農を食い止めること」が最優先課題です。自分たちが現場で生き残り、持続可能な経営モデルを切り出して共有していくことが、地域への一番の恩返しだと思っています。

手触り感のある現場で貫く「志」

ひと筋縄では行かない現場だからこそ感じる、やり甲斐や面白さはどこにありますか。

一番のやり甲斐は、現場で目の前の課題に日々取り組むことが、目指す目標に直接つながっていると実感できる点です。ITコンサルタントをしていた頃は、目の前の作業と目標との距離がありすぎて、「これをやっていて本当にゴールにたどり着くのかな」と葛藤し、辛い思いをすることもありました。けれど今は違います。土に触れ、現場の課題を一つずつ改善していく作業のすべてが、そのまま「日本の農業をサステナブルにする」という本来の目的に直結していると、ダイレクトに実感できています。

「志」をお聞かせください。

私の志は、美味しい食べ物を作る人が、ちゃんと生産を続けていける仕組みづくりです。目の前にある日々の作業や収穫量の向上と、「持続可能な農業と食づくり」という大きなテーマとが、途切れることなく地続きでつながっている。この取り組みを、答えや終わりのない芸術活動のように、生涯をかけて追求していきたいです。

読者へメッセージをお願いします。

私私自身、最初から「食」や「農業」に絞って生きてきたわけではありません。一見すると点々として、脈絡のないキャリアに見えるかもしれませんが、すべてにおいて「これを選んだら自分の視野や可能性がどれぐらい広がるだろう」という基準で、進路を選択してきました。最初から一直線に目標へ向かえる人なんて、そう多くはないと思います。枝を伸ばし葉っぱを茂らせていけば、結果として木全体が豊かに育っていく。「今やっていることが何になるのだろう」と迷うような地味な作業であっても、それは確実に誰かのためや何かのためになり、自分の中の枝葉を広げている時間です。年齢に関わらず、領域を決めつけずに自分の選択肢を広げていく。周囲に感謝しながらそのプロセスを楽しむ姿勢が、人生をより面白く、豊かにしてくれるのだと思います。

(2026年7月、宮崎市にて)


「人」と「言葉」と真摯に向き合い安心を届ける存在になりたい

英語に関わる仕事を目指す中で見出した、アナウンサーという道。女子大学での多様な挑戦で基盤を作り、現在は地元テレビ局のアナウンサーとして活躍する増谷さん。地域に寄り添う日々の中で見出した仕事の原点と、すべての世代へ贈るしなやかな志について伺いました。

増谷寧々さん
福井放送株式会社 アナウンサー
増谷寧々さん

増谷寧々さんプロフィール

1996年、福井県生まれ。2019年、同志社女子大学表象文化学部を卒業し、福井放送株式会社に入社。現在は報道制作局のアナウンサーとして、夕方の情報番組「おじゃまっテレ」(出演は水〜金・スタジオMC)や「にじパレ」(土・スタジオMC&中継リポーター)、ニュースなどを担当。ディレクターとしても企画から出演までを自ら手掛け、地域に密着した発信を続けている。


多彩な挑戦と出会いが予想外の道を拓く

同志社女子大学の表象文化学部への進学動機をお聞かせください。

子どもの頃、テレビで通訳の方の仕事ぶりを見て「かっこいいな」と憧れたのが始まりでした。日本語ではない言葉を自分が話すことで世界が広がっていく感覚が好きで、将来は英語を使う職業に就こうと決めていました。女子大学を選んだのは、英語に特化した実践的な学びができる環境に強く惹かれたからです。

どんな学生時代でしたか。

増谷寧々さん

若本夏美先生のゼミでは小学校で子どもたちに英語を教える機会があり、教えること、伝えることの奥深さを学びました。この経験から、教員が進路の選択肢に加わりました。もともと私は、やってみたいと思ったことには何でも挑戦する性格です。京都らしさを体感したくて北野天満宮の巫女さんなど、さまざまなアルバイトに励んだほか、創作ダンス「京炎そでふれ!」にも打ち込みました。一見バラバラに見えますが、どれも「人と話す」「伝える」という点で、現在の自分につながっています。

そこからアナウンサーを目指したきっかけは何だったのでしょうか。

実は大学2年次生の夏までは、京都のホテルに就職して外国人観光客の接客をしたいと考えていました。そのインターンシップを受けるために大学のキャリア支援部で面接を受けた後、職員の方に引き止められて言われたんです。「本当にこれが夢ですか? 人と話すことが好きそうだし、伝えることが得意そうだから、アナウンサーという道もありますよ」と。それまでアナウンサーは選択肢になかったのですが、挑戦するのはタダだし、ダメでも自分の力になると考え、そこからアナウンススクールに通い始めました。ホテルスタッフ、教員、アナウンサーという3つの道を並行して最後まで諦めずに追い求め、ホテルからも内定をいただいた中で「今しかできないこと」と「地元・福井で働くこと」を決断し、現職を選ばせていただきました。背中を押してくださった職員の方には、心から感謝しています。


現場の熱量を自分自身の言葉で届ける

現在のお仕事の具体的な内容と、やりがいについて教えてください。

地方局ではアナウンサーが記者を兼務することが多いのですが、福井放送の制作部ではアナウンサーがディレクター業務も兼ねます。自分で企画してお店や会社にアポを取り、打ち合わせをしてメモを取り、台本を書いてカメラマンと取材に行き、自分で編集まで行います。ニュース情報番組「おじゃまっテレ」で担当している「社長たちの100名言」というコーナーでは、県内の経営者の方々を取材しています。福井県は人口に対する社長の輩出率が高いんです。でも県民性というのでしょうか、控えめな方が多く、最初は断られることも多いのです。その中で、本音や素敵な言葉を引き出せた瞬間はすごく嬉しいですね。放送後に「お店に行列ができたよ」といった反響をいただくときも、やってよかったと心から実感します。2024年3月、北陸新幹線の延伸開業に際して4時間の生放送を行ったときは、スタジオのMCを担当させていただきました。番組終了後、上層部から「あなたに任せてよかった」と言われたことも強く心に残っています。一つの番組が成功するには、カメラや音声、その他多くの方々がいて、アナウンサーは最後の砦といえます。だから私が言葉一つ間違えれば、皆で作ってきたものが大きく変わってしまうこともある。そのプレッシャーから解放され、「任せてよかった」という言葉を聞いたときの達成感は大きかったです。

生放送の現場で、特に心がけていることはありますか。

「読む」のではなく「伝える」ことです。新人時代は用意された原稿を読むことに必死で、上司から「それって伝わっていると思う?」と言われたことがありました。ディレクターが用意した原稿を理解し、そこに取材で得た自分の言葉や感情を乗せて初めて、伝わる言葉になるのだと気づきました。視聴者の方は、こちらの言葉に一つでも引っかかるものがあると、その後は受け入れてくださらないことも多いものです。逆に一つ共感していただければ、どんどんこちら側に入ってきてくださいます。だから生放送ではいつも、画面の向こうにいる視聴者を想像して話しかけるよう意識しています。それでもこの8年間、「100点だった」と思えた日は一日もありません。放送を見返し、自分で文字起こしをして言葉選びを反省する毎日です。

能登半島地震での経験と、目指すアナウンサー像

特に印象に残っている現場や出来事はありますか。

東京で小さな家を買って一生働き続けるより、窓を開ければ一面の海と空が広がる環境で暮らしたい。結局、どこで生活するかが大事だったんですね。そして私のやりたかった仕事は、突き詰めれば「地元に大学生がいる状態にすること」。そこで田辺市を拠点に、インターンシップなど教育プログラムを運営する会社を設立したんです。

現在の主な事業内容をお聞かせください。

2024年元日の能登半島地震です。越前市の実家にいると激しい揺れがあり、緊急召集がかかって局へ。情報収集を経てカメラの前に立ち、呼びかけを行いました。緊急時にテレビ画面から流れる一声は、ときに人の避難を促し、命を守る重みを持っています。私が教わってきたのは、災害時こそ安心できる落ち着いた声で呼びかけること。緊張で押しつぶされそうになりながらも、画面の向こうへ必死で言葉を届け続けました。

その経験を経て、どのようなアナウンサー像を目指されていますか。

普段の情報番組では、お茶の間が和らぐような笑顔や楽しい雰囲気を届けたいと思っています。しかし一方で、いざ災害が起こったときには「この増谷さんが言っていることなら、信じて逃げよう」と思ってもらえる存在でありたい。災害報道の訓練はもちろん行っていますが、普段の放送でも誤解や疑念を招くような発信をせず、一つひとつの言葉に責任を持ち、日頃から信頼を積み重ねていくことが一番の「備え」になると感じます。災害時は混乱していて、テレビがついていても、皆さんはたぶん耳で聴くだけだと思うんですね。だから顔を見て、そして声を聴いて安心してもらえるアナウンサーになることが目標です。

感謝と「好き」を原動力に、次のステップへ

お仕事をする上でのご自身の「志」を教えてください。

何事も一人では成し遂げられないと自戒すること、「一人じゃない」ということです。先ほどもお話ししましたが、一つの番組は多くのスタッフだけでなく、何より取材に応じてくださる地域の方々と、それを観てくださる視聴者の方々で成り立っています。その方たちからのアドバイスや指摘があるからこそ番組が良くなります。もちろん厳しい声もいただきますが、厳しさのない甘い世界で終わっていたら、こちらの伝えたいことが視聴者の皆様に届いているか、不安になります。だから独りよがりにならず、常に周囲に感謝して臨むことを大切にしています。福井県には「いいとこ、掘りだくさん。」というキャッチコピーがあります。知れば知るほど魅力的な人や食、自然がたくさんあるんです。控えめな県民性の皆様の魅力を、後押ししながら伝えていく存在でありたいです。

最後に読者へメッセージをお願いします。

番組で地元のBリーグチーム「福井ブローウィンズ」を応援するコーナーを担当したことをきっかけに、バスケがどんどん好きになりました。最近は試合の応援に通うなど、「好き」を原動力にして仕事の領域を広げています。また、学校などで子どもたちに夢について話す機会では、「やりたいことは一つじゃなくていい、いくつあってもいい」と伝えています。私自身、3つの道を同時に目指し、すべてに本気で取り組んだ経験が、結果的にはリンクして、今の強みになっています。この思いは若い世代だけでなく、幅広く人生を歩まれている校友の皆様にも通じることだと感じます。取材先では夢だった喫茶店を50代で開いた女性や、70代のブレイクダンサーなど、魅力的な方々にたくさん出会いました。いくつになっても人との出会いを大切にし、自分の「好き」や「やりたいこと」に素直に挑戦していく。その姿勢が人生を豊かにしてくれるのだと、日々取材現場で教えていただいています。

(2026年7月、福井市にて)

目次

新島 襄の言葉
生(せい)のごときは日暮れて途(みち)遠く、なお克(よ)く駑馬(どば)千里を駆(か)くる能(あた)わずといえども、ただただ我が良心を真理に照準して使用し、天より賦与(ふよ)するところの力を竭(つく)して一生を終わらんと欲するのみ。
    
口絵
2026年度安中・同志社新島講演会 学校法人同志社
京田辺キャンパス開校40周年記念事業キックオフイベントを開催 同志社大学
韓国・東亜放送芸術大学とのスペシャルイベント「世界を動かすアジアポップ」を開催 同志社女子大学
『球技大会(高校)』 同志社中学校・高等学校
中学・高校 体育祭 同志社香里中学校・高等学校
芸術鑑賞 同志社女子中学校・高等学校
高校生 球技大会/日本文化の日 同志社国際中学校・高等学校
初等部:『京都府私立小学校連合会第33回合同音楽会』
国際部:『Experiencing Filipino Culture Through Food』
同志社国際学院
「なかよし遠足」 同志社小学校
親子で動物園づくり、そして京都市動物園への遠足(5歳児
6月24日は同志社幼稚園129周年
同志社幼稚園
私の志 p4
「食」という究極のインフラを未来へつなぐ
生産者が報われ、持続する未来へ現場の一歩から食の基盤をつくる

いちごポタジェ株式会社 代表取締役社長
田口沙緒理さん

地域の魅力を自らの言葉で発信
「人」と「言葉」と真摯に向き合い 安心を届ける存在になりたい

福井放送株式会社 アナウンサー
増谷寧々さん

特集 p12
京田辺キャンパス開校 40周年記念座談会
京田辺市×同志社大学×同志社女子大学 キャンパスの変遷、そして地域と拓く未来像

上村 崇、宿久 洋、天野 太郎、水船 昌彦、吉岡 康博

特別寄稿 p23
同志社と京田辺のゆかりを辿る 同志社大学同志社社史資料センター
同志社女子部創立150周年記念ツアー
同志社女子部のはじまりを訪ねて 2026年8月17~23日
学校法人同志社
同志社女子部創立150周年記念ツアー 同志社女子部のはじまり を訪ねて 実現まで 同志社女子大学名誉教授 坂本 清音
「同志社女子部のはじまりを訪ねて」サンディエゴ・クレアモント・ロサンゼルス訪問記 同志社同窓会 南野 紫乃
コラム・エッセイ p43
「エンジニア=男性(?)」を変える  男女共同参画意識への視点と教育の役割 同志社大学政策学部教授 田中 秀樹
AIの時代と長編小説 同志社女子大学表象文化学部准教授 木島 菜菜子
香里中学校・高等学校と学校周辺の歴史から日本画制作を通して平和を考える 同志社香里中学校・高等学校美術科教諭 水江 亮太
同志社の一貫教育 hitohito-Li p46
同志社の一貫教育 hitohito-Li 同志社一貫教育探求センター所長 川満 直樹
建物案内 p49
山本覚馬記念アリーナ(同志社大学)
Library & Exhibition Room(同志社国際学院)
同志社の逸品 p51
白鷺会 記念碑 同志社中学校・高等学校

私の研究・私の授業 p53
文学部文化史学科での学び 大学文学部文化史学科教授 鍛治 宏介
クリーンエネルギー社会を拓く「燃焼研究」の最前線 大学理工学部機械理工学科准教授 堀 司
生成AI時代におけるプログラミング教育への新たな挑戦
女子大学芸学部准教授 尾関 基行 
デザインで自分自身を表現してみよう。 同志社国際中学校・高等学校芸術科(美術)教諭 北川 浩司
宝くじの当せん確率・期待値を再現して、リスクを体験・実感する  同志社中学校・高等学校数学科教諭 園田 毅
子どもたちの「つぶやき」から立ち上がる学び 同志社小学校教諭 江間 記世
レクチャー p71
ビジネスと経済における良心 同志社大学長 小原 克博
同志社大学客員教授・オックスフォード大学教授 ヒュー・ウィッタカー 
新刊紹介 p79
災害と福祉をつなぐ知の挑戦―『災害と福祉の交差点―理論・方法・実装の越境と連結―』 立木茂雄先生退職記念論文集編集委員会(編)
中小企業とアントレプレナーシップ―危機や逆境を乗り越える企業家活動プロセス― 関 智宏著
中国鉄鋼業 銀 迪著
現代中国という問い 村田 雄二郎著
ブラック・ウイメンズ・カルチャー―音楽からみる人種と性の闘いの物語 臼井 雅美著
天使の哲学――中世哲学入門講義 石田 隆太著
和歌が生まれるとき 大山 和哉著
ソーシャルワークという「希望」 ―分断する社会の中で考える支援の根っこ― 空閑 浩人著
職場・学校のセクハラ・パワハラ ハラスメントの法と判例 吉川 英一郎著
「日本式介護」の中国進出――高齢者ケアの現地化プロセス 郭 芳著
リトルトーキョーは語る:凝集・越境・包摂の日系アメリカ史 南川 文里著
近代の政治家と京都の別荘庭園 琵琶湖疏水がむすぶ水脈と人脈 佐野 静代著
拝米という病 山上 信吾著
ソーシャルマーケティング―行動変容で社会的価値を共創する― 瓜生原 葉子著
近代の政治家と京都の別荘庭園 琵琶湖疏水がむすぶ水脈と人脈 佐野 静代著
自立生活センターによる重度障害者の自立生活移行 鈴木 良著
子どもはどのように音を聞いているか 嶋田 容子著
こどもを支える地域づくり入門─日本・アメリカの「つながり」の実践から 新谷 龍太朗著

同志社クローズ・アップ p87
同志社創立150周年記念事業を総括するための座談会 法人事務部 創立150周年記念事業事務室
公開シンポジウム「リベラリズムとポストリベラリズムの対話」開催 同志社大学国際課
『食品開発プロジェクト』の取り組みについて 同志社女子大学生活科学食物栄養科学科教授 杉浦 実
感性OSとしての放課後 -学びプロジェクト13年-   中学校・高等学校教頭・技術科教諭 沼田 和也
「弦楽オーケストラ研究会」の3年間   香里中学校・高等学校音楽科教諭 水上 陽一
見えざる一本の柱 女子部創立150周年記念礼拝 森一郎先生   女子中学校・高等学校教頭・『清風』編集監修 酒井 由行
きらり輝く生徒へのインタビュー ~トライアスロンの魅力~   国際中学校・高等学校教頭 二股 一郎
ようこそ! DIA Libraryへ!   国際学院初等部副校長 ロハス 亜紀
たくさんの愛を受けて ~たてわり活動を通して~   小学校教諭 北山 亜耶
真剣に遊ぶ経験 ~小学校教育へ円滑に接続するために~ 幼稚園 園長 矢田 貴美代
お知らせ p118
同志社絵本が2026年11月に完成
ハリス理化学館同志社ギャラリー展示ご案内
新島旧邸公開のお知らせ
同志社女子大学創立150周年記念式開催のお知らせ
~ホームカミングデー2026を同日開催~
同志社校友会からのお知らせ
同志社同窓会(これまでの歩みと、年間の諸活動)
編集後記 p124

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