同志社時報
最新号
同志社時報は、学校法人同志社が年2回(4月・10月)発行している機関紙です。
最新号 第158号2024.10 発行
ピックアップ記事
異色の経歴を持つクリエイター
行動力と創造力で企業と消費者の心を結ぶ
漫画制作に取り組んだ学生時代。社会に出てもその情熱を抱き続け、ときを経て商業イラストレーションの世界で才能を開花させた卒業生がいます。消費者の心に届く表現を生み出すご苦労などに触れながら、クリエイターの志を伺いました。
村本 ちひろさん
村本 ちひろさんプロフィール
1982年大阪府生まれ。2001年、同志社女子大学学芸学部日本語日本文学科(当時)入学、2年次修了後に学芸学部情報メディア学科(現・メディア創造学科)に転科、2006年同学科を卒業。卒業後は大阪府内でシステムエンジニアとして勤務後、2009年、東京へ移住。Pallet Club School、山田博之イラストレーション講座卒業。透明水彩を中心としたアナログイラスト、デジタルイラストなどを制作し、大手企業の広告・パッケージ、書籍の装画など、幅広い分野で活躍中。著書に『おとなのステキなぬりえBOOK Time for healing~癒しの時間~』(啓文社)など。
情報メディア学科での学びと漫研で描き続けた日々が土台に
女子大学で一度、転科をされていますね。
読書が好きで国語や英語が得意だったので日本語日本文学科に入学しましたが、私の関心と合致したゼミがないように感じたんです。そのとき情報メディア学科(現・メディア創造学科)が新設されました。アドビのソフトやマスコミュニケーションなど、新しい事を自由に学べるらしいと知って、今までと180度違うことをやってみたくなったんです。漫画が好きで同志社大学の漫画研究会に所属し、ときにはフォトショップも使いながら作品を描いていましたから。情報メディア学科は周りが創作意欲の盛んな人たちばかりで、とても刺激になりました。
卒業後、大阪でシステムエンジニアを3年間された後、東京へ行かれました。
当時の仕事が、私にはあまり向いていないように感じたんですね。私生活でもいろいろ我慢して体裁を整えて生きていると、自分自身に辻褄が合わなくなってきました。まだ20代だし、一度自分のやりたい事だけをする時期を設けようと思ったんです。東京には出版社も多いし、情報発信のチャンスも多いですから。といっても当時は趣味で描いていただけだったので、向こう見ずな決断だったと思います。最初の5年ほどはアルバイトをしながら描き続け、さまざまな展示に参加するなどしていました。
何か転機があったのですか。
山田塾で学べたことですね。NHK大河ドラマ「どうする家康」の劇中イラストを全部描かれた、山田博之さんが主宰しておられるイラスト塾です。自分のあるがままで描いていかないといつかは破綻するから、既に持っている個性を活かす方法を教えてくださるところに共感しました。具体的な営業手法なども教えていただいたおかげで、2019年頃からようやくイラストで独り立ちできるようになりました。
大変失礼な質問ですが、美術系の大学や専門学校で学んでおられないことは不利にならなかったのでしょうか。
逆に、それが原動力にもなりました。人一倍頑張らないと仕事は来ないなと。だからデザイナーさんのトークショーに出てみたり、積極的に人脈を築いたりして、私を見つけてもらう努力を重ねたつもりです。
個性を大切にしながら消費者の気持ちに届く絵を模索
ご自身らしい表現や個性は、どのように育てていかれたのでしょうか。
漫研時代はストーリー物や女の子の絵を描いていたのですが、人物画があまり得意ではなかったので、動植物を描き始めたら評価してもらえるようになったんですね。一方で、一つの絵の中に物語性を込めた「一枚絵」がいいなと思うようになっていきました。ただ、デジタルで描くといつまでもアンドゥができて終わりがないように感じ、アナログの透明水彩に惹かれていきました。昔はグリム童話の『おどる12人のおひめさま』(ほるぷ出版)のような、ヨーロッパの絵本がすごく好きだったので、そういう世界を表現したいという願望もあったと思います。
雑誌・書籍などの装画。食品関係の絵は手に取りたくなるシズル感を意識しているそう。
現在のお仕事ぶりを教えてください。
書籍の装画と企業広告が半々ぐらいです。書籍の仕事は比較的時間をいただけますが、広告の仕事は忙しいですね。例えば商品パッケージのイラストだと、デザイナーさんの頭の中に完成図があるので、私はいわばそれを描き出すツールになります。缶ビールのパッケージを担当したときは、水彩絵の具1色だけを使ってリアルな絵を描いてほしいという要望がありました。そこで毎日ホップを1個描いてはデータ化してデザイナーに見せるやり取りを4日ほど続け、OKをいただいて全体を描き上げ、バイク便に原画を渡して終わるまでが1週間でした。
コミュニケーション力も重要になりますね。
より良い制作を行うには、クライアントやデザイナーの意図を正しく汲み、私からも発信しながら、円滑なやり取りを進めることが不可欠です。イラストレーターには引っ込み思案な人も多いのですが、コミュニケーション力という点では情報メディア学科で培うことができたのかもしれません。思いついたアイデアやこなれていない絵を提案し、意見を聞きながら詰めていく作業は、水中で必死に水をかき続ける白鳥みたいなものかもしれません。毎回苦しみますが、それで喜んでもらえたら嬉しいです。
今も苦しむことはありますか。
あまり苦しむと、自分がなぜ絵を描きたかったのかが分からなくなって、しんどくなることがあります。だから最近は、クライアントさんに寄せ過ぎないようにしようとは思っています。自分のテリトリーを一定程度保ちつつ、そこからちょっと出るのはいいけれど、全然違うところを冒険すると、自分の絵がグダグダになってしまいますから。
苦しくても描き続ける原動力は何でしょうか。
好奇心です。好奇心に従って物事を深く調べ、表現方法を考える。今思うと情報メディア学科は、自分から「これをやりたい」という強い意志を示せば、手厚くサポートしてくださる場所でした。その環境で過ごし、自分から行動を起こした結果の成功体験の積み重ねが、今の私の背中を押してくれているように思います。失敗もあるけれど、続けていけば何となく形になるということは多いです。
絵本でひらいた新境地
絵本も手がけられたそうですね。
今年7月、東京書籍から出版されたばかりの『THE SEA TURTLE ウミガメ』という、小学生向けの英語の絵本に描かせていただきました。小学校の英語教科書でアカウミガメの物語の絵を担当したら良い評価をいただき、そこから派生したお話です。まだ英語の文章をあまり読めないお子さんが読むかもしれないので、絵だけでも楽しそうと思ってもらえたらと考えて、海の色をページごとに変えたり、魚を水族館で研究したりして描きました。このように、種子をもらって膨らませるのは好きですね。広告の仕事だとデザイナーさんが構図まできっちり決めますが、今回の絵本では大まかなラフしかなく、ほとんどおまかせみたいな感じでした。そういうやり方は初めてだったので、どこまで求められているのかが却って分からず、非常に悩みました。でも、期待していただけるのは嬉しいです。
英語教科書の表紙と原画
イラストレーターとしての志をお聞かせください。
動植物を描いているときは、世の中にはまだ知らないものやきれいなものがいっぱいあるんだよ、というような面白さを伝えられたらいいですね。今回の絵本なら、絵をきっかけに子どもたちが魚について調べ、習性を知ってくれたら楽しいなと。志になるかどうかは分かりませんが、イラストレーターというのは、消費者とクライアントさんとの橋渡しをする存在だと思います。どれだけ立派な商品でも、良さや価値が消費者に伝わらないと買ってもらえません。そのために文章や写真、イラストがクッション的な存在としてあるのだと思うと、責任重大な気もします。
読者へメッセージをお願いします。
叶えたい事があるのなら、途中に休みが入ったとしても、続けていれば必ず形になると思います。私の仕事について言えば、私の生き方が作品にも表れると思うので、自分が楽しく生きないと周りを楽しくできないと思っています。これからも好奇心を大切にして、楽しく生きていきたいですね。
(2024年7月29日、東京にて)
有田みかんの魅力を世界へ発信
地域農業と共に歩みながら家業をダイナミックに展開中
父が作り出した100%ジュースを原点に、明治中期創業のみかん問屋を20億円企業に育てた卒業生を紹介します。挫折を乗り越えた成長の背景には、「志」の大切さに気づいた転換期がありました。
伊藤 彰浩さん
伊藤 彰浩さんプロフィール
1980年和歌山県生まれ。2004年、同志社大学経済学部卒業と同時に酒類専門商社に就職。2006年に帰郷し、3代目の父が経営するみかん生産・卸売の伊藤農園に入社。以降は経営の安定を目指してブランディングや6次産業化に取り組み、地元産の柑橘類を加工した多様な商品を国内外へ発信。2023年、代表取締役社長に就任。
同年、経済誌「Forbes JAPAN」の企画「スモール・ジャイアンツ・アワード」でローカルヒーロー賞に選出。
父の信念を肝に銘じUターンして会社再生へ
ご実家の伊藤農園の沿革を教えていただけますか。
1897年にみかん問屋として創業し、農家さんからみかんを買って東京や大阪の市場に売る、流通の役割を担っていました。その後農協が誕生し発展していく中でみかん問屋の役割が薄れていき、生き残りが厳しくなっていきました。どの地域も少子高齢化の影響で元気を失っていく中で、私が小学生の頃、父がみかんジュースを作り始めたんです。みかん栽培では、どうしても2、3割は規格外品が出ます。当時でキロ約200円の売値が、ちょっと見た目が悪いだけでキロ2円ぐらいになる。しかも買い取ってもらいに農協に運ぶだけで、人件費やガソリン代を考えれば赤字です。それが農業経営を圧迫し、みかんの適正価値を無駄にしているのではという疑問から、規格外品を買い取って始めたジュース作りでした。規格外品に目をつけてという発想ではなく、もっと高い値段で取り引きをして付加価値がつけられる形を考えたのが出発点でした。自分たちが生き残るための事業転換ではありましたが、地域と共に成長しなければ自分たちの成長は絶対にないという信念が、父にはずっとあったと思います。
卒業後は酒類専門商社に就職されました。
食に関心があったのと、父のジュース作りも関係したと思います。飲食店に対する総合サポートを行う会社だったので、営業の実践的なノウハウと、どんなお店がちゃんと収益を上げてお客さんに認められるのかを学びました。当時の経験は今でも大いに生きています。
有田に戻られた経緯をお聞かせください。
僕は大学在学中も就職後も、百貨店の催事などでジュースの販売を時々手伝っていました。そこでお客さんがうちの商品をすごく美味しいと言ってくださる。父の作る商品が認められ、必要とされている実感を得ました。けれど、全然売れていない。どうすればもっと売れるかなと考えていました。そんな中で父が体調を崩して「帰ってこないか」と声をかけてきた。当時は自分が本当にやりたいものも見つかっていなかったので、僕にできる事がありそうだなと思い、2006年に帰郷しました。
突進しすぎて離れた人心
真の再生は全社挙げての「志」づくりから
伊藤農園に戻られてから、会社の再生にはどのように取り組まれたのでしょうか。
当時はパート従業員が10人ほどで、売上は1億円程度。最初は食に非常に関心の高い層をメインターゲットにして、漠然と売上10億円という目標を立てて突き進みました。ただし安売りや、商品価値を損なうような売り方はせず、父が大切にしていた芯となる部分は守りました。
順調に進みましたか。
10億を超えたあたりから、皆がついてきていないことを痛感しました。志がなければ誰もついてこないことに気づいたんです。2011年からは新卒採用も始めましたが、働き方よりも売上優先で突っ走ったためか、採用した社員の約半数はいなくなりました。そこで会社の存在意義や自分たちが働く目的をしっかり皆で考えて経営理念を固め、行動指針「クレド」を設定しました。さらに規模を拡大して父が大切にしてきた地域貢献を継続するためにも、経営理念に共感し、志を持って働く人たちの集まりにしていかないといけない。そのための取り組みにずっと力を入れています。毎日の朝礼で行うクレドトークもその一つです。行動指針に自分の仕事を関連づけ、自分が行っている取り組みを1分ほど話してもらい、次の当番の人はそのフィードバックや感想を述べる。ずっと続けていると行動指針が社員に浸透し、会社全体の思考と行動のスピード、循環も非常に速くなりました。
その中でも大切にしておられる事は何ですか。
美味しさです。みかんのすべてを有効に利用し、素材の味を最大限に生かすことです。合理性や効率という発想ではなく、とにかく美味しさにフォーカスして作る。父は職人気質なので、美味しいものを作ることがゴールです。僕は、その価値をもっといろんな人に知ってもらいたい。そんな2人の信念を両輪で徹底させて、ここまで成長できました。現在は100種近い商品を展開する一方で海外進出にも力を入れ、フランスのミシュランの星付きレストランから評価を得たことを契機に、ヨーロッパでの取引も拡大しています。お陰様で2023年には売上20億円を達成し、現在は地域から加工用柑橘を約2000トン仕入れられるようになりました。
次は農業複合施設を作って有田を活気づけたい
地域と共に成長したいというお父様の思いは、見事に受け継がれているのですね。
地域農業の根幹部分に、何かしら力添えができたかなと思います。ただ規格外品の課題が改善されても、それが農業の継続には直結しません。廃業を選択された農家さんも非常に多く、耕作放棄地が年々増えています。みかん畑はちょっと放置すると、すぐ森みたいになり、獣の住処になって他の畑まで荒らされることになる。廃業してみかんを作らないという選択はできても、畑を放置すれば他にもっと悪い影響が出る。そこで伊藤農園の安定的な原料確保と地域のみかん畑の維持・存続という両方の目的で、耕作放棄地を毎年積極的に買ってきました。
一帯に広がる石垣階段型のみかん畑
今後の展望をお聞かせください。
今まではみかんの価値を国内外に発信してきましたが、次は逆に有田に人を呼び込み、みかんというコンテンツを活かして皆さんにここで楽しんでもらうことで、さらに地域貢献ができればという思いがあります。
具体的な計画はおありですか。
夢は、みかんをテーマにした農業複合施設「伊藤農園ビレッジ」の建設です。畑で農業体験をして、自分で育てたみかんを自社工場でジュースやマーマレードに加工するワークショップをしたり、レストランでみかんをテーマにしたスイーツやランチが楽しめたり。この辺はタチウオなど、海産物も非常に美味しいんです。そういう地元の食材を楽しめるホテルレストランで一泊して、お土産も買って帰ってもらえる施設を作りたいですね。すべて伊藤農園でするのか、地域の人たちと協業するのかは今後の話ですが、これらの実現を通して、もっと地域に貢献して成長していきたいです。その第一弾として今年4月にレストランをオープンしました。結局目指すところは、里山の豊かさを提供できる会社なんです。誰かが歩いて足跡がつき、畦道のようなものができていく。そこには人の温かみが乗っかっている。作られてはいるけれど自然を感じられる豊かさを提供したいという思いの中で、ビレッジ構想が育ちました。とにかく和歌山を、この有田をみかんでもっと活気あふれる地域にして、皆で幸せになっていきたいです。
柑橘をバラエティ豊かに楽しめる直営レストラン
読者へメッセージをお願いします。
僕にとってはやはり、10億円の分岐点が非常に大きかったです。ひたすら数字と規模を追っていた時期と、従業員の幸せや地域の発展を本当に念頭に置いてやっている今とでは、自分自身の考え方も組織自体もガラッと変わりました。同じ志を持つメンバーの集まりになっていくことで組織はもちろん強くなりますが、僕自身もそれによって一個の芯を持てるようになり、強さを身につけられたと思います。
(2024年7月31日、和歌山県有田市にて)
- 同志社時報 No.158 2024年10月号
-
目次
新島 襄の言葉 | |
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「嗚呼天我を棄てさるか、我業の成否此一挙にあり」(〔函館紀行〕、『新島襄全集 5』p.9) |
口絵 | |
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法人 | 同志社創立者新島襄海外渡航の地 碑前祭 |
大学 | 立教大学と相互協力・連携に関する協定を締結 |
女子大学 | 国立大学法人奈良先端科学技術大学院大学と包括協定を締結/同志社女子大学創立150周年記念ロゴマークが決定しました |
中学校・高等学校 | 中学校2年生夏期研修旅行 |
香里中学校・高等学校 | 中学・高校 体育祭 |
女子中学校・高等学校 | 花の日礼拝・福祉の日の行事 |
国際中学校・高等学校 | オープンスクール/高校生 球技大会 |
国際学院 | 初等部:京都府私立小学校連合会合同音楽会 国際部:DISK Graduation |
小学校 | なかよし遠足 |
幼稚園 | 遠足/花の日礼拝 |
150周年を迎えるにあたって p4 | |
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同志社総長・理事長 八田 英二 |
私の志 p6 | ||
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異色の経歴を持つクリエイター 行動力と創造力で企業と消費者の心を結ぶ |
イラストレーター 村本 ちひろさん |
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有田みかんの魅力を世界へ発信 地域農業と共に歩みながら家業をダイナミックに展開中 |
伊藤農園4代目社長 伊藤 彰浩さん |
特集 p14 | ||
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座談会 STEAM教育座談会 |
大久保 雅史 氏/川﨑 公美子 氏/沼田 和也 氏/ 阪田 真己子 氏 |
レクチャー p24 | ||
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合唱の同志社 -創立150周年記念事業全同志社合唱祭に寄せて |
大学 同志社社史資料センター |
同志社の逸品 p33 | |
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徳富蘇峰の箱 (大学 同志社社史資料センター) |
コラム・エッセイ p35 | ||
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妻の出産と夫の働き方の柔軟性 | 大学社会学部産業関係学科教授 梶谷 真也 | |
栄養学を通じて未来を創る | 女子大学生活科学部食物栄養科学科准教授 鈴木 拓史 | |
同志社と出会うということ | 女子中学校・高等学校体育科教諭 那須 文惠 |
特別寄稿 p38 | ||
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ジェローム・D・デイヴィス先生の曾孫エレノア・ラネイ氏ご来校 |
法人事務部 |
私の研究・私の授業 p42 | ||
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ソーシャルマーケティングでよりよい社会をつくる | 大学商学部教授 瓜生原 葉子 | |
双方が歩み寄る社会の実現を目指して | 大学文化情報学部助教 山縣 芽生 | |
スポーツの近代化とキリスト教 | 女子大学現代社会学部現代こども学科 梅垣 明美 | |
京田辺を歩く |
国際中学校・高等学校社会科教諭 佐藤 友亮 | |
生徒がつくるプロジェクト〜政治家の話を聞いて模擬投票を行おう〜 | 中学校・高等学校社会科教諭 井出 教子 | |
主体的に環境に関わり、遊びを展開する子どもを育てるために ~遊びたくなる魅力的な環境構成を目指して~ |
幼稚園教諭 竹中 琴恵 |
新刊紹介 p61 | |
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スチューアト・バートン・ニコルズ伝アーモスト大学と同志社の交流 ―アーモスト大学学生代表同志社大学派遣百周年記念 ― |
スチューアト・バートン・ニコルズ伝編纂委員会 編 |
ブルックリン化する世界 ジェントリフィケーションを問いなおす | 森 千香子 著 |
核不拡散と核軍縮の国際法 | 浅田 正彦 著 |
ケアの倫理―フェミニズムの政治思想 | 岡野 八代 著 |
民主司法の救済形式―「憲法価値」の手続実現 | 川嶋 四郎 著 |
真のキリスト教神学のための弁証 | 中野 泰治 著 |
フランス教育システムの歴史 | 越水 雄二 訳 |
クビライと南の海域世界 | 向 正樹 著 |
関和知の出世 政論記者からメディア議員へ | 河崎 吉紀 著 |
ジョアン・トロント著『ケアリング・デモクラシー:市場・平等・正義』を監訳、解説して | 岡野 八代 著 |
教室の中の認知行動療法 | 石川 信一 著 |
教理問答と信仰告白 | 中野 泰治 著 |
イギリス湖水地方ピーターラビットの野の花めぐり | 臼井 雅美 著 |
西尾実国語教育論の生成と展開 | 松崎 正治 著 |
同志社クローズ・アップ p68 | ||
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安中市・学校法人同志社連携協定事業 安中・同志社新島講演会 | 法人事務部 | |
18年ぶりとなるアーモスト大学学長の表敬訪問 | 大学 国際課 | |
「女性アクティベーションセンター」の取組について | 女子大学センター長/看護学部看護学科教授 光木 幸子 |
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Interview to Foreign Tourists!! ~2023年度中2「英語B」授業実践~ |
中学校・高等学校英語科教諭 皆川 祥吾 | |
寝屋川市駅から本校までの直行便バスの運行 ―バスロータリーの新設― |
香里中学校・高等学校 徳元 篤志 | |
英語オンラインスピーキングの取り組み | 女子中学校・高等学校英語科教諭 伊藤 芽衣 | |
歌は喜び―熱い想いを唇にのせて― | 国際中学校・高等学校音楽科教諭 コーラス部/キリエコーラス顧問 阿部 望 |
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IB・PYPプログラムと連動した宿泊学習 | 国際学院初等部教頭 風間 寛 | |
同志社小学校におけるハーモニーウィークの取り組み | 小学校副校長 石川 博三 | |
年長組の校祖墓参 | 幼稚園園長 北川 雅章 |
同志社の一貫教育 hitohito-Li p93 | |
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同志社一貫教育探求センター所長 大久保 雅史 |
お知らせ p97 | |
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2025 年8月実施 あたらしい自由の風を、世界へ、未来へ。 学校法人同志社創立150周年記念事業 新島襄の足跡を辿るアメリカツアー ーアーモスト大学での記念集会ほかー |
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ハリス理化学館同志社ギャラリー展示ご案内 | |
新島旧邸公開のお知らせ | |
同志社女子大学史料センター 第28回企画展 同志社女子大学の新たな挑戦:21世紀の広報戦略 | |
同志社校友会からのお知らせ | |
同志社同窓会の歩みと年間行事・事業 |
編集後記 p103 |
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