同志社大学設立の旨意
明治21年、新島襄は20をこえる新聞、雑誌に「同志社大学設立の旨意」(以下「旨意」と略す)を公表して大学設立への協力をよびかけました。この文章は、前半で同志社諸学校開設に至る経緯をかたり、後半で今なぜその上に大学が必要なのか、いかなる大学であるべきかを熱っぽく論じた、若々しい気魄のこもった名文です。 この「旨意」は毎年、入学式で一部朗読されますが、今でもそれを聴くとき胸の高まりをおぼえる同志社人も多数います。
新島襄は私立大学を「人民の手に拠(よ)って設立」することを考えました。当時大学とよばれるものは、官立の東京大学一校のみでした。これに抗して、全国の賛同する民間人の手によって、つまり自発的結社という新しい組織原理によって大学を創ろうとしていました。自発的結社といえば、「同志社」つまり"志を同じくする個人の約束による結社"という名前自体この理念を示しています。福沢諭吉の慶應義塾も同様の結社で、当時はこのような試みが可能な時代でもありました。
「同志社大学設立の旨意」(抜粋)
…(同志社の)目的とする所は、独り普通の英学を教授するのみならず、其徳性を涵養し、其品行を高尚ならしめ、其精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず、所謂る良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき。而して斯くの如き教育は、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非ず。唯だ上帝を信じ、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存することを信じ、基督教主義を以て徳育の基本と為せり…
…人民の手に拠って設立する大学の、実に大なる感化を国民に及ぼすことを信ず、其生徒の独自一己の気象を発揮し、自治自立の人民を養成するに至っては、是れ私立大学特性の長所たるを信ぜずんば非ず…
一国を維持するは、決して二、三英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、智識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。是等の人民は一国の良心とも謂ふ可き人々なり。而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。吾人が目的とする所実に斯くの如し。
明治二十一年十一月
同志社大学発起人 新島 襄
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