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茶文化の歴史を受け継ぐ伝統の地・京都 その新拠点として国内外へ際立つ発信を目指す【京都と茶文化研究センター センター長 佐伯 順子(社会学部メディア学科教授)】

'16年6月1日 更新
 新島襄の妻、八重は卓越した女性茶道家として女性に茶道を教授し、広めた先駆けの人であった。茶園の歴史は京都を起源とし、茶の湯文化もこの地で大成した。さらに、裏千家15代・前家元の千玄室氏は同志社人である。これらを背景として2014年6月1日に京都と茶文化研究センターが開設された。産学官との積極的な連携を図り、地元に点在する文化拠点との協同を試み、新たな構想と学際的な探究を具現化することによって国内外への際立つ文化発信を推し進めている。

時代に先駆けて女性に茶の湯文化を
広めた茶道家・新島八重

 幕末維新の1868(慶応4)年に戊辰戦争が勃発。この時、22歳の八重は会津の鶴ヶ城に籠城し、後世に語り継がれる獅子奮迅の戦いを繰り広げたが、奮戦むなしく敗れた。1871(明治4)年に兄・覚馬を頼って京都に移り住み、翌年に日本初の公立女学校である「新英学校及女紅場」の権舎長兼教導試補を務める。その後裏千家13代家元圓能斎の母親・猶鹿子に出会い、茶道に親しむようになったという。さらに1894(明治27)年に圓能斎に入門し、茶道教授の資格を取得。女性に茶道を広めた先駆者となる。ちなみに、新島旧邸に設けられた茶室「寂中庵」の扁額は圓能斎の揮毫である。

 「八重は新島襄と44歳の時に死別した後、篤志看護婦として活動する一方で、86歳で他界するまで茶道に打ち込み、時代に先駆けて多くの女性に教授し、今日につながる大きな功績を残しました。また、本学のバックグラウンドである京都は茶の湯文化の歴史を受け継ぐ伝統の地であり、裏千家15 代・前家元の千玄室氏も本学で学ばれました。これらが本センター開設の起点となりました」。また、2013年に放送されたNHK大河ドラマ『八重の桜』を契機に、同年、本学で「八重と裏千家」をテーマにしたシンポジウムが開催され、反響を呼んだことも、茶道家・八重に改めて着目するきっかけになったと佐伯順子センター長は振り返る。

京都で日本最古の茶園が生まれ、
千利休が茶の湯文化を大成

 鎌倉初期に禅宗を学ぶために宋に渡った臨済宗の開祖・栄西は、帰国後に『喫茶養生記』によってお茶の効用を説き、茶の種子を譲り受けた高山寺の僧・明恵が山内で栽培した。これが日本最古の茶園とされ、栂尾の茶は「本茶」と称されている。その後、寺院から武家へ喫茶の習慣が広まっていった。このような喫茶文化の普及に伴い、各地で茶が生産されるようになり、茶の味で産地を当てる「闘茶(茶寄合)」がはやったが、室町末期に村田珠光が禅の精神に基づく「侘び茶」を創出。武野紹鷗 がこれを深め、安土桃山時代に千利休が今日に受け継がれる茶の湯文化を大成させ、織田信長や豊臣秀吉に茶頭として仕えるようになる。また、江戸時代には煎茶道が成立し、文人たちに愛好された。

 「本センターの開設が新聞等で報道された時、最初に注目していただいたのが京都府農林水産部の方でした。京都の料理界との連携で2013年に『和食』がユネスコ無形文化遺産に登録され、さらに宇治茶を世界に向けて発信したいと考えておられたからです。早速、ご担当の丸直裕さんに本センターの嘱託研究員として参画していただき、センターとしても行政と協力して、京都の茶文化の振興に貢献したいと考えています」

画期的な「立礼の茶室デザインコンペティション」なども構想

 京都には千年余の歴史を背景に京文化の次代への継承を目指している数多くの拠点が点在している。本センターでは茶文化をテーマに、これらとの積極的な協同を図り、緻密なネットワークを形成しながら地域活性化に貢献し、国内外に向けた新たな文化発信を推進していきたいと考えている。「初年度の研究会で『人と人』『人と文化』『文化と文化』の出会いの場として創設された福寿園CHA遊学パークを見学した際に、その積極的な世界を意識した姿勢に感銘を受け、本センターの方向性にも参考になりました」

 昨年度は淡交社の上席執行役員・小川美代子氏による「近代以降の茶の湯と出版動向」、有職菓子御調進所老松の当主である太田達氏の「京の和菓子と茶文化」、茶道一茶菴家元十四世佃一可氏の「茶の歴史と京都の茶文化」、読売新聞大阪本社文化部の森恭彦氏による「京都のメディアと茶文化」などの研究会を開催した。小川美代子氏は本センターの嘱託研究員としても活動に参画されており、老松は江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園の学問所を再興した公益財団法人有斐斎弘道館の文化活動も支援している。また、佃一可氏は2007 年に国際茶文化賞を受賞し、森恭彦氏は茶の湯に関する書籍も出版している。

 これまでの活動に基づき、本年度は茶文化の意義を、さらに多くの方々に考えていただく契機とするためのシンポジウムの開催、建築家・團紀彦先生のご協力のもと、京都が発祥の地である立礼をテーマにした先進的な公募企画「立礼の茶室デザインコンペティション」なども構想している。「本センターの可能性は限りなく広い」と佐伯センター長は意気込みを語る。


京都と茶文化研究センター
センター長 佐伯 順子【 社会学部メディア学科教授 】
1989年東京大学大学院博士課程修了(学術博士、東京大学、1992年)。国際日本文化研究センター客員助教授などを経て現職。著書に、『明治〈美人〉論―メディアは女性をどう変えたか』ほか。和装を愛し、能楽や茶道に親しみ、ヨガでリフレッシュを図っている。

同志社大学通信One Purpose187号掲載
佐伯 順子 センター長
寂中庵
佐伯 順子 センター長
 新島襄の妻、八重は卓越した女性茶道家として女性に茶道を教授し、広めた先駆けの人であった。茶園の歴史は京都を起源とし、茶の湯文化もこの地で大成した。さらに、裏千家15代・前家元の千玄室氏は同志社人である。これらを背景として2014年6月1日に京都と茶文化研究センターが開設された。産学官との積極的な連携を図り、地元に点在する文化拠点との協同を試み、新たな構想と学際的な探究を具現化することによって国内外への際立つ文化発信を推し進めている。

時代に先駆けて女性に茶の湯文化を
広めた茶道家・新島八重

 幕末維新の1868(慶応4)年に戊辰戦争が勃発。この時、22歳の八重は会津の鶴ヶ城に籠城し、後世に語り継がれる獅子奮迅の戦いを繰り広げたが、奮戦むなしく敗れた。1871(明治4)年に兄・覚馬を頼って京都に移り住み、翌年に日本初の公立女学校である「新英学校及女紅場」の権舎長兼教導試補を務める。その後裏千家13代家元圓能斎の母親・猶鹿子に出会い、茶道に親しむようになったという。さらに1894(明治27)年に圓能斎に入門し、茶道教授の資格を取得。女性に茶道を広めた先駆者となる。ちなみに、新島旧邸に設けられた茶室「寂中庵」の扁額は圓能斎の揮毫である。

 「八重は新島襄と44歳の時に死別した後、篤志看護婦として活動する一方で、86歳で他界するまで茶道に打ち込み、時代に先駆けて多くの女性に教授し、今日につながる大きな功績を残しました。また、本学のバックグラウンドである京都は茶の湯文化の歴史を受け継ぐ伝統の地であり、裏千家15 代・前家元の千玄室氏も本学で学ばれました。これらが本センター開設の起点となりました」。また、2013年に放送されたNHK大河ドラマ『八重の桜』を契機に、同年、本学で「八重と裏千家」をテーマにしたシンポジウムが開催され、反響を呼んだことも、茶道家・八重に改めて着目するきっかけになったと佐伯順子センター長は振り返る。

京都で日本最古の茶園が生まれ、
千利休が茶の湯文化を大成

 鎌倉初期に禅宗を学ぶために宋に渡った臨済宗の開祖・栄西は、帰国後に『喫茶養生記』によってお茶の効用を説き、茶の種子を譲り受けた高山寺の僧・明恵が山内で栽培した。これが日本最古の茶園とされ、栂尾の茶は「本茶」と称されている。その後、寺院から武家へ喫茶の習慣が広まっていった。このような喫茶文化の普及に伴い、各地で茶が生産されるようになり、茶の味で産地を当てる「闘茶(茶寄合)」がはやったが、室町末期に村田珠光が禅の精神に基づく「侘び茶」を創出。武野紹鷗 がこれを深め、安土桃山時代に千利休が今日に受け継がれる茶の湯文化を大成させ、織田信長や豊臣秀吉に茶頭として仕えるようになる。また、江戸時代には煎茶道が成立し、文人たちに愛好された。

 「本センターの開設が新聞等で報道された時、最初に注目していただいたのが京都府農林水産部の方でした。京都の料理界との連携で2013年に『和食』がユネスコ無形文化遺産に登録され、さらに宇治茶を世界に向けて発信したいと考えておられたからです。早速、ご担当の丸直裕さんに本センターの嘱託研究員として参画していただき、センターとしても行政と協力して、京都の茶文化の振興に貢献したいと考えています」

画期的な「立礼の茶室デザインコンペティション」なども構想

 京都には千年余の歴史を背景に京文化の次代への継承を目指している数多くの拠点が点在している。本センターでは茶文化をテーマに、これらとの積極的な協同を図り、緻密なネットワークを形成しながら地域活性化に貢献し、国内外に向けた新たな文化発信を推進していきたいと考えている。「初年度の研究会で『人と人』『人と文化』『文化と文化』の出会いの場として創設された福寿園CHA遊学パークを見学した際に、その積極的な世界を意識した姿勢に感銘を受け、本センターの方向性にも参考になりました」

 昨年度は淡交社の上席執行役員・小川美代子氏による「近代以降の茶の湯と出版動向」、有職菓子御調進所老松の当主である太田達氏の「京の和菓子と茶文化」、茶道一茶菴家元十四世佃一可氏の「茶の歴史と京都の茶文化」、読売新聞大阪本社文化部の森恭彦氏による「京都のメディアと茶文化」などの研究会を開催した。小川美代子氏は本センターの嘱託研究員としても活動に参画されており、老松は江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園の学問所を再興した公益財団法人有斐斎弘道館の文化活動も支援している。また、佃一可氏は2007 年に国際茶文化賞を受賞し、森恭彦氏は茶の湯に関する書籍も出版している。

 これまでの活動に基づき、本年度は茶文化の意義を、さらに多くの方々に考えていただく契機とするためのシンポジウムの開催、建築家・團紀彦先生のご協力のもと、京都が発祥の地である立礼をテーマにした先進的な公募企画「立礼の茶室デザインコンペティション」なども構想している。「本センターの可能性は限りなく広い」と佐伯センター長は意気込みを語る。


京都と茶文化研究センター
センター長 佐伯 順子【 社会学部メディア学科教授 】
1989年東京大学大学院博士課程修了(学術博士、東京大学、1992年)。国際日本文化研究センター客員助教授などを経て現職。著書に、『明治〈美人〉論―メディアは女性をどう変えたか』ほか。和装を愛し、能楽や茶道に親しみ、ヨガでリフレッシュを図っている。

同志社大学通信One Purpose187号掲載
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