プレスリリース
法医学と化学の融合、 一酸化炭素(CO)中毒死における脳内CO濃度の測定 死因究明への貢献、毒性および後遺症メカニズムの解明に期待
大阪医科薬科大学医学部法医学教室の森一也助教らの研究グループは、同志社大学理工学部 北岸宏亮教授らが開発した人工ヘモグロビン化合物「hemoCD*1」を世界で初めて死後のヒト脳組織に適用し、一酸化炭素中毒(CO)*2による死亡例における脳内CO濃度の測定を行いました。この成果は、死因究明へ貢献するばかりではなく、COの毒性メカニズム・後遺症発症メカニズムの解明に貢献することが期待されます。
研究のポイント
- ヒト組織における新しいCO濃度測定方法を確立
- hemoCDを使用すると死後のヒト脳組織のCO濃度が測定可能
- COを吸引したヒトから特定の部位ではなく脳全域で高いCO濃度を確認
- CO毒性メカニズムや後遺症発症メカニズムの解明に期待
研究の概要
本研究では、化学的に合成された人工ヘモグロビン化合物である「hemoCD(図1)」を用いたCO検出法を、世界で初めて死後のヒト脳組織に適用しました。

deoxy-hemoCD1およびCO-hemoCD1複合体の構造を示す。
hemoCD1は、5,10,15,20-テトラキス(4-スルホナトフェニル)
ポルフィナト鉄(Ⅱ)(FeⅡTPPS)とピリジンリンカーを有する
ペル-O-メチル-β-シクロデキストリン二量体(Py3CD)から
構成される。
その結果、この方法はヒト脳組織においてもCO濃度を正確に測定できることが分かりました。続いて、COを吸引して死亡した7例(CO吸引グループ)と、COを吸引していない5例(吸引していないグループ)を対象に測定を行いました。
これまで、CO中毒患者のMRI等の画像診断結果では、脳の特定部位に異常な信号を認められることが報告されています。そこで、それらの部位を詳しく見る目的で、異常な信号が見られた部位を含む8つの部位(図2)に脳を分け、それぞれの部位のCO濃度を測定しました。

1: 前頭葉皮質
2: 前頭葉髄質
3: 被殻
4: 淡蒼球
5: 内包
6: 尾状核
7: 側頭葉皮質
8: 側頭葉髄質
その結果、それぞれのCO濃度は、CO吸引グループでは約30〜50 pmol/mg・吸引していないグループでは約20〜30 pmol/mgとなり、CO吸引グループが高い濃度を示しました。しかし、異常な信号が見られた部位のCO濃度が高いということではなく、脳全般的に高い濃度を示していました。さらに、脳の各部位においてCO濃度には上限があり、吸引・吸引していないグループで認められたCO濃度の差(10〜20 pmol/mg)が致死量の目安となる可能性も示されました(図3)。

この研究によって、hemoCDを用いた方法はCO中毒の死因判定、中毒程度の判定に用いることができるだけではなく、COの毒性メカニズムや後遺症発症のメカニズムの解明につながることが期待されます。
研究の背景
CO中毒は、日本において薬毒物中毒の原因として最も多く、毎年数千人が命を落としています。実際に、京都アニメーション放火事件や大阪・北新地ビル放火事件でも、多数の犠牲者の方の死因がCO中毒であったと報道されています。COは酸素運搬を阻害し、全身に影響を及ぼしますが、特に酸素を必要とする脳は深刻な障害を受けやすく、急性中毒後には意識障害や後遺症が生じることがあります。しかし、そのメカニズムについては、未だ不明なままとなっています。
これまで法医学現場や臨床現場において、血液中のCOヘモグロビン(CO-Hb)飽和度*3が死因判定や中毒の程度を評価する主要な指標として使われてきました。しかし、この方法は酸素を運搬する能力に関する程度を示すものであり、必ずしも症状や予後に一致せず、死因判定や障害の程度を正確に評価することが困難になっています。近年の研究により、COは単にHbと結合して酸素の運搬を阻害するだけでなく、細胞レベルでの直接的な毒性を有することが明らかになってきました。そのため、CO-Hb飽和度の測定だけではこれらの毒性を十分に評価することはできないため、組織内におけるCO濃度の直接測定が必要となります。
近年、同志社大学で開発された人工ヘモグロビン化合物「hemoCD」を用いて、マウス脳内の超微量COを高感度かつ迅速簡便に定量できることが示されました (2021年論文発表 (Mao, Kitagishi, et al., Comm. Biol.) および当時のプレスリリース参照)。そこで本研究では、この手法を世界で初めて死後のヒト脳組織に応用し、CO濃度を測定することで、CO中毒を判定する新たな指標の確立と中毒メカニズムの解明に資するデータを得ることを目的としました。
社会に与える影響
本研究は、法医学と理工(化学)の研究者が連携したことにより実現した、CO中毒による死亡例を対象に、ヒト脳組織内のCO量を直接測定した世界初の成果です。この成果により、より高精度な死因究明や、血中CO-Hb飽和度の測定だけでは困難であったCOの致死量推定が可能となることが示されました。得られた知見は、救急・救命活動や中毒予防策の立案に資するのみならず、CO中毒の毒性発現や後遺症発症のメカニズム解明を促進し、将来的な治療法の開発にも寄与することが期待されます。
用語解説
- *1 hemoCD
同志社大学の北岸宏亮教授らが開発した人工ヘモグロビン化合物であり、一酸化炭素との親和性が極めて高い。一酸化炭素中毒の治療薬として期待されている。 - *2 一酸化炭素(CO)
無色・無臭で、「サイレントキラー」とも呼ばれる気体。炭素を含む物質が不完全燃焼すると発生する。吸入されると、血液中のヘモグロビンと酸素の200倍以上の結合力で結合し、酸素の運搬を阻害して全身を酸欠状態に陥らせる。少量でも頭痛や吐き気を引き起こし、高濃度では短時間で意識障害や死亡に至る。火災現場、練炭燃焼等の不完全燃焼が主な発生源。毒性の一部は低酸素によるとされるが、脳や細胞等に及ぼす影響の全貌は依然として解明されていない。 - *3 COヘモグロビン(CO-Hb)
飽和度血液中のヘモグロビンに占める一酸化炭素(CO)と結合した割合を示す値。一般的に健常人では10%以下だが、30%を超えると頭痛や吐き気などの症状が現れ、50%以上では意識障害や死亡の危険が高い。CO中毒の有無や重症度を判断する指標として、臨床・法医学の両分野で広く用いられている。
研究者コメント
本研究では、死後のヒト脳組織に含まれるCO濃度を、人工ヘモグロビン化合物hemoCDを用いて直接測定する方法を初めて提示しました。この成果は、死因究明における法医学的評価の精度向上に直結するとともに、CO中毒における細胞レベルでの毒性メカニズムや後遺症発症の病態解明を加速させるものです。今後、本手法の適用範囲を拡大することで、CO中毒の病態理解のみならず、その予防・治療戦略の構築にも大きく貢献できると考えています。
特記事項
本研究成果は、2025年9月11日(木)(日本時間18:00)に科学誌「Scientific Reports」(オンライン)に掲載されています。
- タイトル : “Quantification of Carbon Monoxide (CO) in Postmortem Human Brain Tissues After CO Poisoning”
- 著者名 : Kazuya Mori*, Jun Yoshida, Fumiya Morioka, Qiyue Mao, Munehiro Katagi, Hiroaki Kitagishi, Takako Sato
- DOI : https://doi.org/10.1038/s41598-025-15661-x
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