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デジタル社会における自由と多様性の未来~オードリー・タンと語り合う~

同志社創立150周年記念(大学事業)公開シンポジウム

基調講演の様子はこちらからご覧ください

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左から、木原副学長、小原学長、オードリー・タン氏、伊藤教授、小山田国際センター所長

パネルディスカッション テーマ

デジタル社会における自由と多様性の未来

登壇者

  • オードリー・タン氏 台湾初代デジタル発展相 台湾外交部無任所大使
  • 小原 克博 同志社大学長
  • 伊藤 高史 同志社大学 人文科学研究所長 社会学部教授

コーディネーター

木原 活信 同志社大学副学長

司会進行

小山田 英治 同志社大学 国際センター所長

AI時代における「良心」の定義 〜ケア倫理とその評価~

木原
オードリー・タンさん、今日は同志社大学に素晴らしいメッセージを残していただき、ありがとうございました。温かいお人柄で世界をリードしておられることがよく伝わりました。本日の出席者、小原学長は宗教学、倫理学を専門にされながら、幅広い自然科学の分野にも興味をお持ちです。また伊藤教授はメディア学が専門で、ジャーナリズムや自由について研究してこられました。私は社会福祉学が専門なので、基調講演での「ケア」という言葉に、敏感に反応したいと考えています。まず小原先生、基調講演の率直な感想をお願いします。
小原
今、木原先生がタンさんの性格についてお話しされました。これはすごく大事なことです。講演ではブリッジング・システムへの言及がありましたが、それは私たちの社会が二分化して、なかなかブリッジできないという前提があるからです。「私の方が正しい、お前たちは間違っている」というロジックが先立っています。ところが本当にそれをブリッジしていこうと思うと、やはりタンさんのように、いろんなものを受け入れる包摂的な感情、人格が大事だと思うのです。この分断された社会を修復していくためには、ロジックだけで正しさや間違いを押し切ったり、相手を批判したりするのではなく、知的な素晴らしさに加えて、いろんな人を受け入れていける多様性そのものを私たちが身につけていかなければならない。これがまず出発点なのだと、強く思いました。タンさんは本当に良きモデルです。
伊藤
タンさん、大変素晴らしいスピーチをありがとうございました。大事なのは多様でありつつ合意をすること、一致点を探すことです。それをタンさんはAIという技術を使い、アイデアを考えるだけでなく実践されています。我々同志社大学は「良心」を教育理念に掲げています。「良心(conscience)」の語源は「共に知る」であり、「共にある」ということは、共通の一致点を探すことと深く関係すると思います。我々にとって非常に勉強になるスピーチでした。
小原
その「良心」についてタンさんに伺います。講演では、機械にも良心を教えることができるのではないかとお話しでした。これは私たちが非常に大事に考えているテーマです。AIの進展に対して、私たちはそれをどうハンドリングし、マネジメントするかが大事で、そこに良心は深く関わっていると思います。例えば自動運転技術にAIを組み込む場合、路上で起きるアクシデントに対して、あらかじめ答えをプログラミングすることは簡単ではありません。目の前に小さい子どもがいて、反対側にお年寄りがいた場合、どちらに避けるべきかといった倫理的な問いに対して、あらかじめそれをプログラミングすることはできないわけですね。私たちは刻々と変化する状況の中で物事を考え、AIとも「共に知る」ことが必要な時代になってきています。良心とAI、あるいは良心とITテクノロジーを考えたときのヒントを教えていただけますか。
タン
オックスフォード大学で、私たちはこの「ケアの倫理」のシステムを研究しています。一般的な道徳倫理では、その行動をとったもの自身がヒューマニティを持っていると認識します。例えば勇気を持つべき、慈悲があるべきだと言うとき、それは相手が人間であることが前提です。しかし、人間の思考よりも数千倍速く思考できる機械となると、何を勇気と呼べるのかは定義ができないんですね。しかしケアとは、完全な道徳理論だけではありません。相手の必要に応じてそれをケアできたかという結果は、私たちの目にも見えるものだと思います。機械の表層に表れるものを見るのです。人と機械の関係性を観察することにより、その双方向のやり取りの良し悪しは判断できます。機械の中に意識や魂の有無を見極めることはなかなかできませんが、機械の行動は見ることができる。一つの機械に良心があるかどうかを判断するよりは、その機械が提供しているケアが良いケアなのかを判断することはできると思います。
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オードリー・タン氏
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小原学長

多様な価値観と共通基盤の探求 〜国家レベルでの合意形成の可能性~

伊藤
私は政治哲学をベースにした社会学を勉強しています。タンさんは偉大な思想家、哲学者でもあると思うので、そちらの方面から質問させていただきます。合意形成のために共通の価値観をどう作っていくかですが、今日のお話ではAIを取り入れて実践していくということでした。「多様な価値観を認める」と口にするのは非常に簡単ですが、実際に異なる価値観を持つ者同士が何かを合意できるときには、すでに基盤となるような価値観で合意が存在していないと、違ったものを認められないのではというパラドックスがあるように思います。例えば我々の文化では、女性は教育を受ける権利はないという価値観を認めるわけにはいきません。そういった基本的な価値観は、我々の社会生活や身体的な接触の中で確認しながら、徐々に形成される側面が強いのではないでしょうか。タンさんも著書の中で、ソーシャルイノベーションを進めるには、オンラインで話すだけでなく例えば同じ食事をするなどして、ある種の同質性を確認していくという工夫を紹介されていました。それが国家レベルの話になったとき、本当の基本的な価値観を我々はどう確認し、共通のものを持てるのか。タンさんのお考えや実践例を教えてください。
タン
極端な例ですが、アメリカとロシアの冷戦期には、双方とも核兵器をどれだけ持つかという競争がありました。このように極端な状況下でも、核の安全知識という共通する価値のあるものについては、互いに共通認識を持っていたと思います。両国が互いに牽制し合っていたのは一つの側面ですが、間違って生態系を破壊し、地球全体を滅ぼしてしまうことは、どちらの国も望んでいなかったでしょう。そうなれば人間も動物も存続できなくなるからです。したがって国家間でも、地球という共通する物質の上で、実は共存しているのです。「共通する価値」は持っているのです。コモンナレッジが最初はなくても、実は共通点があることを認識していないだけかもしれません。だからこそ、お互いが「実は共通の価値があった」ことに気づくことが大事なのです。例えばどの国でも「インターネットから離れる」という決断を下すことはできますが、どの国もそうはしません。なぜならインターネットは、多くの国の内部システムとすでに共生しているからです。インターネットをシャットダウンするのは、食糧の供給を絶つのと同じです。つまり、一番ベーシックな部分で共通する価値が存在することを確認した上で、さらに上の階層で、新しい形の共通価値を生み出すことが大事なのです。

分断の克服 〜民主主義のアップデートとクアドラティック投票~

木原
今のお話とも少しつながりがあるかもしれませんが、例えば同志社大学では教育の柱として多様性を非常に大事にしてきました。ところがアメリカ大統領の一連の発言にあるように、現在の社会情勢を見ると、多様性に対して疑義を促す風潮が起こってきているのではないかと思います。このような社会であっても、タンさんご自身は「共通の価値による橋渡し」によって、この問題を乗り越えられるという見通しを持っておられますか。
タン
本質は「関係」の問題です。世界中でいわゆるグローバリズムがありますが、それに対する逆流も存在します。異なる価値観を持つたくさんの人が生活環境の中に入ってきたとき、「自分のコミュニティの連帯感がなくなってしまう」と感じる人がいるからです。その人たちは「自分たちの伝統を守れない」「私たちのコミュニティの核が失われる」と感じてしまいます。こうした不安は、SNSで言論が拡大されることによって、最も極端な形で表面化することがあります。例えば自分たちには独自の生活環境、学校、コミュニティがあるのに、異なる価値観を持つ人がたくさん来たことによって、一気に経済摩擦が起こったり投票で予想外の結果が出たりすると、「私たちより強い勢力が来た」と感じ、「生活が侵される」と脅威に感じるのです。また、例えば投票で51%の票を得たとしても、たくさんの反対の声があります。台湾でも、民主主義に基づいた投票で51%の得票があったからといって、「勝ったからすべてを決めていい」という乱暴な論調がありました。私たちはその乱暴な論調をやめさせるために、「賛成」「反対」の両方の立場から、それぞれがどれだけ強く望んでいるかという意志の強さを数値化できる方法で投票を行い、結果を合理的に計算できる「クアドラティック投票」を実施しました。これなら両方の立場の中間派が出てきて、協力を始めることが可能になります。例えば台湾では同性婚について容認派と、家族という概念を維持したい反対派との間で何百回も話し合いを行いました。そして2014年は9%だった同性婚の支持率を、その後70%にまで上げることができたのです。
小原
両極化する政治状況の中で共通項をいかに生み出していくかというのが、今は世界中の課題になっていると思います。日本では、アメリカの二大政党制が長らく理想とされていました。アメリカでは民主党と共和党といえども、かつては共通項が多くありました。仮に政権が交代したとしても大丈夫な政治システムとして、二大政党制があったのです。ところが今のアメリカの政治を見ると、両党の間で、もはや共有できるものはほとんどないような状況です。そして少なくともアメリカの場合は、SNSを中心に意見が交わされ、それが国民を一体化させるのではなく分断する方に、より強く働いてしまっています。同じような事が他国でも結構起こっています。もはやモデルを持たない時代の中で、果たして私たちは何を目指したらいいのかという大きな課題があります。日本が分断の方向に向かわないため、特にデジタル社会と関係づけて、今後の政党政治のあり方に対して示唆をいただけますか。
タン
台湾では昨年から3つの政党が並立していて、国会で過半数を取っている党は一つもありません。このため、政党間の合従連衡が続いています。ただこの状況下でも、電子署名のない詐欺広告に対してSNS企業が責任を負うべきとする法案には、3党すべてが同意しました。まずブリッジング・システムを使って民意がどのように反映されているのかを把握し、PPM(毎分あたりの分極化)などの指標を見ながら、広く人々の意見を吸い上げました。そして審議をしながらの討論型調査や、科学的根拠のある世論調査を実施することで、結果を政党に参考にしてもらい、専門知も取り入れながら、民意を政策に反映させる取り組みを行ったのです。もちろん詐欺が起こってほしいと思う政党はありません。ですから両極化した意見については、このようなシステムで極端な意見を抑え、本当に民意を聞く政党に対してスコアを与えました。かつては新聞記者、ジャーナリスト、大学など、伝統的に尊敬されてきた機関の意見に耳を傾ける人は多かったのですが、今の時代、特に若い人たちはSNSによって、同じ立場の人の意見を聞くようになっています。大臣が現場の声を聞く時間も減りました。ですから私たちは、政党、専門家、市民という多様な立場の人たちが一緒に決めることで分断を乗り越え、連帯を強めてきました。アメリカでは地方からこのようなデジタル民主の動きが起こり、非常に期待されています。連邦単位で解決するのはなかなか難しいので、地方から始めることによって、この動きを広めるチャンスはあると思います。

教育の役割と社会とのつながり

木原
ありがとうございます。教育の役割について少し触れていただきましょう。開演前の打ち合わせでは、台湾では不登校の問題が日本ほどではないという話をしておられました。オードリー・タンさんご自身が学校に行かないという特殊な環境の中で育たれたからこそ、教育の役割について非常に注視しておられるとも伺いました。教育全般に関して、ご自身のご経験と重ね合わせてお伺いできますか。
タン
私は14歳のときから中学に登校しなくなりました。当時私が行っていた研究への注力を校長先生が奨励してくださり、通学しないことに同意をいただいたのです。高校にも行きませんでしたが、研究の聴講などはしていました。したがって学歴は取得していませんが、ずっと勉強そのものはしていたので、通常の不登校とはまた違うと思います。現在、私は少しでも学んだものがあればすぐに発表しているので、私の多くの作品はインターネットでも見られるようになっています。今はどのような業界でも同じように、作品の方がものを言う時代になりました。私が言いたいのは、学校も新しい価値を創造するときが来たということです。台湾には「大学の社会的責任」という言葉があります。すべての大学は近くの農村や都会のニーズと、持続的な発展との関係性を研究しなければいけません。問題を発見すれば解決を手伝わなければいけません。これを大学の学生たちが行い、実践し、まとめる。それが大学の社会的責任です。生徒・学生にとって社会とのつながりや社会貢献が、勉強の原動力なのです。昔の勉強になじめなくなった生徒たちは実験的な勉強ができるよう、現在の台湾では選択できるようになっています。国民教育は従来の形で行い、試験的な教育も取り入れて融合させるようにしています。
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伊藤教授
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木原副学長
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小山田国際センター所長

質疑応答

木原
ありがとうございました。本日聴講された方々からはタンさんへ、多数の質問をいただいています。その中から次の3つを選定させていただきました。
小山田
1つ目は「現実問題として、Singularityが起こることにより、具体的にどのような未来が到来すると考えたらよいでしょうか」です。
タン
Singularityと転換点についてお話しします。「AIが自主的にAIの研究をできるようになる」のが、一つの重要な転換点だと思います。現在すでに多くの研究がAIの支援下で行われていますが、AIが完全に自主的に実験室を回すことは実現していません。まだ人による操作が必要です。しかし近い将来、すべてAIが仮説を立てて実証を行い証明するなど、一連の研究を人の介入なしにできてしまう時代が来ると思います。これが一つの大きな転換点になるでしょう。この時点で、良心つまりケアの心がある、思いやりの心があるかどうかは非常に大事です。例えば人体実験をしてはいけないなど、さまざまな倫理を持たせることは非常に重要です。転換点を迎えた時点でそのような良心をAIに持たせていなければ、大変なことになってしまいます。発展の不均衡、不公平も生まれてしまいます。その特権が一部の人間たちや一部の集団に集中してしまうこともあり得ます。したがって、テクノロジーの発展と倫理を組み合わせるのは非常に大事なことなのです。
小山田
2つ目は「AIに良心教育を施す際の具体的な手段について、どのようにお考えでしょうか。AIをローカルに落とし込み、その状況に特化させるという意味でしょうか」です。
タン
ローカルの文化をAIに取り入れるということについてお話しします。metta(メッター)という、慈悲や広い愛を意味する仏教用語があります。空気を読むことなども含め、AIが人との接し方、人との共生能力を高める訓練も、このmettaという考え方が基盤です。このような訓練と実験をどんどん積み重ねるのは、一つのケア・ジムのようなものです。つまり思いやりやケアする心の筋力を、AIも鍛えることができるのです。京都にも「Artificial Life Institute(※ALife Institute、人工生命研究所)」があります。興味のある方は、ここの研究にぜひ注目してください。
小山田
3つ目が「ソフトウェアやAIを使っても、まだ解決できそうにもない最も難しい問題は何ですか」です。
タン
今の時点で答えを出すのは難しいですね。共生できるものに関しては共通点を見つける、あるいは、例えば葉緑素が細胞に入るような形で共生がうまくいく例があります。ですから私たちは機械とコミュニケーションを取るべきで、機械と人との間に大きな境界を作ってしまうべきではありません。これは次の世代、さらに次の次の世代で答えが出るでしょう。私たちは良い先祖にはならないかもしれませんが、子孫の世代で答えを出してもらえればと思います。
木原
知の巨人は非常にマイルドで、優しい方でした。ありがとうございました。
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関連情報 同志社大学公式YouTubeチャンネル
当日の様子(動画)は上記リンクよりご覧ください。