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“D”iscover -Opinion-

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AIが人間の相棒となって新たな知の世界を切り拓く時代がやって来た(前編)

2023年8月12日 更新

AIの進化・普及が加速度を増している。特に教育現場では、話題のChatGPTをはじめとした生成AIの利用をめぐって、期待と不安が交錯している。

このような変化の真っただ中において、「良心」という観点からAIを見つめているのが、同志社大学神学部の小原克博教授だ。ますますAIが暮らしに浸透していく今後の社会において、私たちはどのようにこの新しい技術と向き合えばいいのだろうか。そもそも、良心とは何だろうか。小原教授に話を聞いた。


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クラーク記念館にて




良心は技術の負の側面を制御する

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ChatGPTの登場以降、「AIは役に立つのか、立たないのか」という議論が熱を帯びてきました。インパクトの大きな技術ですから、多くの人が関心を持つことはよくわかります。しかし、目先のことにとらわれてばかりいては、大切なことを見落としてしまいかねません。私は、もっと視座を高くして、人類史という観点から現在のAIを見つめることが重要だと考えています。

AIだけでなく人類が生み出した技術には必ず、両義性があります。すなわち、いい面と悪い面です。例として、「火」を考えてみましょう。火は、人類が発明した画期的な技術です。火を使うことで、それまでは食べることができなかった難消化性のセルロースやでんぷんを含む植物を食べられるようになり、肉なども、より栄養価の高い形で食べることができるようになりました。別の見方をすれば、火によって、人間は体内の消化機能を外部化(アウトソーシング)したと言うこともできます。おかげで体が発達し、脳も大きくなりました。人類の身体や知性の発達に火という技術は貢献したのです。一方で火は、他者を攻撃するための道具にもなりました。これが両義性です。

蒸気機関は産業革命をもたらした画期的な発明でしたが、その一方で、化石燃料の使用は地球環境に大きな影響を与え、現在の地球温暖化の一因にもなっています。ダイナマイト、核エネルギーなど、両義性の例は尽きることがありません。AIについても、「人類を滅ぼすほどの力を持った技術だ」という専門家がいるぐらいです。

AIは人間の知能をアウトソーシングしたものであり、それによって人間の知的負担が軽減される一方、トータルな知的能力は強化されることになります。そして、AIをはじめ多くの先端技術が、民生利用と共に軍事利用される可能性をもったデュアル・ユースの技術であることは、現代社会に重要な倫理的な課題を突きつけています。

技術を前にして、人間は時として欲望にかられて暴走してしまいます。使いこなすためには心構えが必要です。それが良心です。良心とは、欲望を律する力と言うこともできるでしょう。科学と良心は、日本語ではまったく別物のように見えますが、元になったラテン語では、それぞれ「スキエンティア(知ること)」と「コンスキエンティア(共に知ること)」であり、両者は非常に近い関係にあることがわかります。

英語の良心conscienceの中に科学scienceが入っているのは偶然ではありません。共にサイエンスすることが良心であると言うこともできます。スキエンティア(サイエンス)はコンスキエンティアと関係づけられることにより、その特性がより明確になり、様々な誘惑に抗する力を得ることになります。そのようにして、科学が持つ力を適切に制御し、その力を有益に、そして最大限に発揮できるのです。

良きリーダーは良心を備える

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西洋史において良心という概念は長い歴史を持ちますが、その蓄積を現代に生かすため「良心学」という新しい学問領域を構想しました。良心学研究センターには文学、経済学など人文社会科学だけでなく、工学、生物学など自然科学の研究者が名を連ね、共同研究を続けてきました。これは、「人間の欲望を律する」という良心の役割が、社会のあらゆる分野において必要なものだからです。良心学は学問分野の壁を越え、現代に必要な知を創出するためのプラットフォームと言うこともできるでしょう。

組織のマネジメントにおいても、良心は大きな役割を果たします。利益や売上をはじめとしたビジネス上の成果を追求することは確かに重要ですが、そこに良心がないと、組織の暴走が始まります。逆にリーダーが良心を備えていると、目標にまい進しつつも、きちんと制御された組織になります。メンバーからすると、安心してリーダーに付いていくことができ、なおかつ自身の最大のパフォーマンスを発揮することができます。良心を備えたリーダーこそ、本学が育成したい人物像です。その重要性は、変化の目まぐるしい現代社会において、かつてなく高まっているのではないでしょうか。

AIの活用によって新たな視点を得る

先にも述べたように、西洋語の良心(conscience)は語源的には「共に知ること」という意味を持ちますが、“誰と”共に知るのかということがテーマになってきました。内なる他者(自分自身)と共に知る、他者と共に知る、神と共に知る、といったことが西洋史では議論されてきました。私たち人類は、自分自身と深く向き合うことや、他者との共同作業や対話を通して、物事への理解を深めてきたのです。そしていま、“誰と”のなかに、AIやロボットといった人工物を加えることができるように、良心を概念拡張すべきであると私は考えています。人工物と共に知る良心です。AIの両義性を踏まえた上で、人間と共に考え、新たな知を生み出していくパートナーとしてAIを位置づけていくことは可能なのです。

実際、私もChatGPTに問いを投げかけて回答を求めることがあります。ChatGPTの回答は非常に網羅的で、なかには私が気づいていなかった視点からの回答も得られます。ChatGPTが提示してくれた視点をきっかけにして新たな洞察を得たり、考えを深めたりすることができます。ChatGPTは厳密な意味での知性を持っているわけではありませんが、あたかも知性をもったパートナーであるかのように思えるほど、共に知ることが可能な段階にまで発展してきました。

ここで課題になるのが、AIやロボットと共に、“何を”知るかです。これは、大学教育に突きつけられている課題でもあります。一個人の力ではこれまでたどり着くことができなかったような事柄を、AIの手助けによって、知ることができるかもしれません。技術的にハードルが高すぎたり、膨大な時間がかかるため諦めざるを得なかったりしたことが、AIとの協力によって解明されていくはずです。そして、その成果は人類全体の幸福のために用いられるべきであり、その意味でも、“何を”共に知るかという対象が、利己的な欲望の充足のみに向かうことのないよう律する力が必要です。

(後編に続く)