“D”iscover -Opinion-
AIが人間の相棒となって新たな知の世界を切り拓く時代がやって来た(後編)
この記事は後編です。前編はこちらからご覧いただけます。
変化の時代にこそ良心の重要性が高まっている
多くの近代的な概念がそうであったように、conscienceも明治期に西洋からもたらされました。さまざまな日本語訳が試みられ、最終的に「良心」が訳語として定着しました。良心という言葉は儒教の書物である『孟子』に由来しています。そのため、私たち日本人が考える良心のイメージには、秩序を重んじる儒教的考えの色合いが強いと思います。
しかし本来的な意味でのconscienceには、それとは異なる側面もあります。例えば世界の多くの国で、成人男性は兵役に就くことが当たり前とされてきました。しかし「暴力は嫌だ。戦争に加担したくない」という強い思い、特に宗教的信念から、兵役を拒否する人たちが現れました。彼らを突き動かしたのは、彼らなりの「良心」です。後にそれは「良心的兵役拒否」と呼ばれるようになりました。良心とは、揺るぎない信念という側面も持っているのです。兵役制度が時を経て変わっていったように、良心は既存の社会秩序に挑戦し、社会そのものを変えていく力を持っているのです。この点で、既存の社会秩序に従うことを求める儒教的な考えとは対照的です。
この意味において、同志社の創立者である新島襄は良心の人です。幕末に、当時の国禁を破ってアメリカへ渡りました。そこで、キリスト教と結びついた良心と出会いました。帰国後には同志社英学校を設立し、国による教育とは一線を画した教育に乗り出しました。先取の気質に富んだ人であると同時に、批判的精神をもって独自の道を歩む人だったのです。また、知識や技術が持つ本来の力を有益に、そして最大限に活かす方法を追求した人でした。私は、ある意味で現代は明治に似ていると考えています。AIをはじめとした科学技術が、かつて経験したことのないほどの劇的な変化をもたらしているからです。国をはじめとした権威ある人たちの言うことを、そのまま受け入れていては未来を描くことが難しい時代です。こういう変化の時代こそ、良心を重んじる本学で学ぶ意義は大きいと考えています。
AIを「良きライバル」と捉え、成長のきっかけに
いま、教育現場ではChatGPTなどの生成AIの活用をめぐってさまざまな議論が行われています。特にレポートの作成については、禁止する学校から有効利用を促す学校まで、対応は千差万別です。ただ、生成AIはもはや無視できる存在ではないという認識では一致しています。
教員は、いたずらにAIを恐れる必要はないでしょう。AIは生徒・学生の知的レベルを高めるための道具として活用することができます。道具は上手な使い方を学ぶ必要があります。生成AIは質問の仕方によって、回答の質が大きく変わってきます。平凡な質問に対しては平凡な回答しか返してきません。生成AIを使いこなすには「質問力」がきわめて重要ですが、教員はそれぞれの領域でそのプロフェッショナルなわけですから、自信を持って生成AIを使えばよいと思います。そのためには、AIの仕組みや利点・欠点などに関する基本的な理解、すなわち、AIリテラシーを高めていく必要がありますが、それは決して難しいものではありません。
生徒や学生は、AIを「良きライバル」と考え、知的挑戦を重ねていくことができます。AIは人間と違って、休むことなく、その挑戦を受けとめてくれます。AIに質問すると、回答の優秀さに驚くことがあるでしょう。言ってみればAIは、超優等生なのです。一方で、AIにできないことも多くあります。そのことを理解すると、「自分にしかできないことは何か」を考えることができます。AIの回答に着想を得たり刺激を受けたりして、発想や想像力が広がっていくこともあるはずです。これが「良きライバル」関係であり、新しい世界をAIと共に知る、ということです。
AIは、「楽をするための道具」でしょうか。あるいは、「創造性を育んでくれるパートナー」でしょうか。それを左右するのは、良心にほかなりません。そして、その捉え方次第で私たちの今後は大きく変わっていくはずです。現代社会を生きる私たち全員にとって良心が重要である理由が、ここにもあると言えるでしょう。
小原克博
同志社大学神学部教授。同大学良心学研究センター長。1996年、同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性差別などをめぐる倫理的課題や、宗教と政治の関係、一神教に焦点を当てた文明論、戦争論に取り組む。