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学長の活動日誌

松本五平さんと新島襄

2025年7月28日 更新
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松本五平さんが写っている写真(写真前列左端が五平さん)

 『京都新聞』2025年7月27日、朝刊に記事「五平「さん」に見る同志社の理念──新島襄夫妻支えた誠実な用務員で門番」が掲載されました。
明治になったとはいえ、まだ封建制度や身分意識が強かった時代の中で、新島は用務員の松本五平に対し、丁寧に「五平さん」と呼びかけていたことが知られています。次第に周りの人たちの五平に対する態度も変わり、五平は多くの人によって愛され、彼にまつわるエピソードが多数伝えられてきました(写真前列左端が五平)。
新島を心底慕った五平は、死んだ後も天国に行って新島に仕えたいと望み、洗礼を受けてクリスチャンになり、死んだら新島の墓の近くに葬ってほしいと願いました。五平の墓は、同志社墓地の門番をしているかのように墓地の門のすぐ側に立っています。
一人ひとりの尊厳を重んじる新島の姿勢は、同志社10周年の際の言葉「人一人は大切なり」としてよく知られていますが、「五平さん」について知る人は決して多くはありません。それだけに『京都新聞』が「五平さん」を取り上げてくれたことは大変意義深いと思います。

なお、取材では以下のように述べました。
新島が「五平さん」と呼ぶと、周囲の者は最初「なぜ?」と思っただろうが、次第に、ここから新しい時代が始まると感じたのではないか。「さん」付けで呼ぶことにより、新島や同志社が何を目指しているのかを、周囲のものも徐々に理解するようになったのではないか。また、さん付けは、封建社会への挑戦状にもなっていた。

150周年を迎えようとする同志社にとって忘れてはならない人物の一人を、あらためて思い起こす機会を得ることができました。

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