同志社創立150周年記念式(第2部)講演
同志社150年の歴史と精神を語り継ぐ
2025年11月29日
同志社大学学長 小原克博
同志社の誕生と歴史
私たちは同志社がこの世に誕生して150年を迎える日を共に祝っています。またこの時期、世界はクリスマスのとき、すなわち、イエス・キリストの誕生を祝おうとしています。クリスマスの物語と同志社の物語は響き合っています。
ローマ帝国の圧政に人々が苦しむ中、イエスは貧しい夫婦のもとで生まれました。一人ひとりの命が大切にされない時代でした。聖書は、暗闇の中の小さな希望の光として、幼子イエスの誕生を伝えています。新島襄もまたその希望を信じた一人でした。彼は、その希望を教育の力によって、この世に実現しようとし、今から150年前、京都の地に同志社英学校を開きました。それは暗闇にゆらめく実に小さな光でした。
同志社は、新島襄と宣教師デイヴィスという2人の教師と8人の生徒で始まりました。同志社が産声を上げた1875年は、長年、キリスト教徒をあぶり出し、弾圧してきた「キリシタン禁制の高札」が撤去された1873年のわずか2年後のことでした。当時の京都は、日本の中でももっとも伝統的で保守的な街でした。そのような京都に開校した同志社英学校は、当初、京都の保守的な市民や宗教界から、京都にふさわしくない「異質なもの」として批判の矢を浴びることになりました。小さな同志社は、飛んでくる矢を避けるだけで精一杯でした。
国家への忠誠が強く求められた戦争の時代には、キリスト教主義の撤回を求める声が学内外から発せられ、時に教師が検挙や逮捕され、また経営的に学校が存続の危機に立たされたこともありました。多くの学生、教職員が戦争の犠牲となりました。
同志社150年の歴史には、日本近現代の激動の歴史が刻まれています。150年前、暗闇にゆらめいていた小さな光は、その後、多くの人を迎え入れ、送り出す中で、少しずつ大きな光になっていきました。10人で始まった同志社から誕生した同志社大学は、現在、14学部、16研究科に約29,000人の学生を擁する総合大学となり、これまで38万人もの卒業生を輩出してきました。創立以来、卒業生が各界で活躍してきたことは、本学の誇りであり、困難な時代を乗り越えてきた先人たちの苦労のもとに現在の同志社があることを、今、感謝と畏怖の念を持って受けとめています。
同志社の創立者・新島襄は教育の仕上げの場としての大学設立のために晩年奔走しましたが、彼自身は同志社大学を見ることなく、46歳11ヶ月の人生を閉じました。亡くなる2年前、彼の弟子である徳富蘇峰に対し、自らの深刻な病状を伝える傍ら、大学設立に対する熱い思いを吐露する手紙を書き送っています。その手紙に記された漢詩の一節「借大箒期掃邦土 十年計画未休神」(大箒を借りて邦土を掃わんと期す 十年の計画未だ休神せず)は、大きな箒で古い日本を大掃除して、新しい社会をもたらしたい、そのために10年来計画してきた大学設立を成し遂げたいという新島の願いを凝縮しています。
大学を基軸とする新しい教育によって、日本を大掃除しようとする新島の志は、スケールの大きなものでした。この手紙を記した半年後の1888年11月、新聞・雑誌を使って「同志社大学設立の旨意」を全国に公表しました。それは全国民に支援を訴えるものであると同時に、当時の社会に対する挑戦状のようなものでもありました。「同志社大学設立の旨意」の中では、大隈重信や渋沢栄一ら、当時の政界・財界を代表する人々が、新島の挑戦を強力に支援してくれていたことも、うかがえます。
「同志社大学設立の旨意」において、新島は自分自身の半生を振り返り(過去)、同志社が実に多くの人々によって支えられている現況を語り(現在)、同志社大学に託した教育の理想を説きました(未来)。そこでは、同志社の過去・現在・未来が物語られていました。創立150周年を迎える私たちもまた、あらためて「過去」に学び、過去に対する「現在」の自分の立ち位置を認識し、単なる現在の延長ではない、新しい「未来」を生み出す挑戦者であり続ける決意を新たにしたいと思います。
「同志社大学設立の旨意」が投げかけた挑戦を受けとめ、これからの時代に本学が歩むべき道筋として新たなビジョンをまとめました。新たなビジョンについて簡単に紹介させていただきます。
ビジョン「共に知る、共に変わるWith a Good Conscience」
本学が「キリスト教主義」「自治自立」「良心」などの同志社オリジンを再発見・再解釈し、志の高い人物を輩出し続けること、そして、唯一無二の誇りある輝きをもって社会を照らし、次世代社会のための新しい価値を生み出すことは、本学が担うべき固有の使命です。そのための中核的ビジョンとして「共に知る、共に変わる With a Good Conscience」を掲げています。「共に知る」とは「conscience(良心)」の原義であり、重要な局面で良心を語った新島の理念を受け継ぎ、実践するという意味を込めました。新島にとって、良心は自由と真理と深く結びつき、既存の秩序を超えて、人を新たなステージへと押し出す力でした。また新島は、新しい教育によって、人と社会を変えることができる、再生することができるという強い信念を持っていました。本学が150年の伝統に甘んじることなく、「共に知り、共に変わる」挑戦を続けることによってこそ、良心を社会にあまねく広めていくことができるでしょう。この挑戦を具体化するため、ここに挙げた5つのビジョンを定めました。
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良心に基づいた総合知の展開と「智徳並行」教育の深化
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京都との共創から生み出される新たな社会貢献
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隣人愛に基づく「国際主義」の実践
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多元的イノベーションを引き起こす研究基盤の形成
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新たな時代へのゲートウェイとなるキャンパスの創造と連携
今、一つひとつを説明する時間はありませんが、キリスト教主義は言うまでもなく、「智徳並行」「自治自立」「倜儻不羈」「良心」「深山大沢」など、同志社オリジンを再確認しつつ、それらを現代において展開する内容となっています。
同志社の特徴と強み
新島が遺した数々の言葉や理念は、時代を超え、今もなお私たちに語りかけ、同志社大学の進むべき道を考える上での羅針盤として、私たちの支えとなっています。そして、そうした理念は決して抽象的なものではなく、生きたエピソードと結びついている点に、同志社の特徴と強みがあると言えます。私たちが新たなビジョンをかかげ、新しい道を進もうとするとき、同志社を同志社たらしめているものが何かを再確認するため、二つのエピソードを皆さんと分かち合いたいと思います。
【五平さん】
若王子の同志社墓地の門のそばに、あたかも墓地の門番を務めているかのような小さな墓石があります。「松本五平の墓」と刻まれています。この人物は一般的には無名ながら、同志社の歴史の中で語り継がれてきた人物でした。五平は数奇な少年時代を経て、1879年に同志社に用務員、門番として雇われました。身分意識が強い封建的な地域から来た学生らは彼を「五平」と呼び捨てにし、「五平、あれをしろ、これをしろ」と軽んじました。それに対し、新島は彼を「五平さん」と呼びました。新島が「五平さん」と丁寧に呼びかけてくれることに、いたく感動した五平は、心から新島を尊敬しました。周囲の者たちは、最初は「なぜ」と思ったに違いありません。しかし、次第に、ここから、同志社から、何か新しいものが始まろうとしていると感じたのではないでしょうか。新島は誰もが平等で尊重される社会を求めました。さん付けは、封建社会への挑戦状にもなっていたのです。五平は死んだら新島先生のお墓の近くに葬ってほしいという遺言を残して1903年に神のもとに召されました。数々のエピソードと共に五平さんは多くの人々に語り継がれ、今も、新島の墓のそばで同志社墓地を守ってくれています。
【諸君よ、人一人は大切なり】
分かち合いたい、もう一つのエピソードは、新島が同志社創立10周年記念の際に発した「諸君よ、人一人は大切なり」という言葉に関係するものです。
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諸君と共に今、往事を追想して紀念したきは、昨年、我れ不在中、同志社を放逐せられたりし人々の事なり。 真に彼らの為めに涙を流さざるを得ず。彼らは或いは真道を聞き、真の学問をなせし人々なれども、遂に放逐せらるるの事をなしたり。諸君よ、人一人は大切なり。一人は大切なり。 往事は已に去れり。これを如何ともする事能わず。以後は我ら実に謹むべし(先生流涕、胸塞ぐを演べらる。満場一人として袖を濡らさざる者、なかりき)。
同志社10周年記念は、来賓も多く参加する祝いの式典でした。その晴れがましい雰囲気を壊すかのように発せられた、退学させられた学生を思う新島の発言を、その場に居合わせた人たちはどのように聞いたのでしょうか。「以後は我ら実に謹むべし」という結びの言葉は、新島自身を含む、同志社関係者全員に向けられています。その深い反省に立って10周年の場に臨んだ新島が、涙ながらに訴える「人一人は大切なり」という言葉を聞いた者たちは皆、涙で袖を濡らしたと伝えられています。校則を破って退学させられるのは自業自得だ、と考えるのは今も昔も変わりません。しかし、新島の涙ながらの呼びかけに一同は、はっとさせられます。「人一人を大切」にしてきただろうか、と。新島にとって10周年記念は、同志社の功績を誇るのではなく、自らの不足を顧みて、関係者と共に同志社の「再生」を誓う日となりました。その10周年からさらに140年の月日を経て、私たちは今150周年を祝っています。多くの来賓を迎え、祝いの場ではありますが、今このとき、私たちもまた自らの不足を謙虚に顧みて、同志社の「再生」を誓いたいと思います。
二つのエピソードを話しました。これらに共通するものが同志社の伝統の中に受け継がれています。新島は実にスケールの大きな人物でした。しかし同時に、新島は一人ひとりに対し、また小さな出来事に対し、熱い眼差しを向けました。帰国前の新島がラットランドの教会で寄付を呼びかけた際、帰りの汽車賃の2ドルを差し出したあの農夫の物語も同じではないか、と思われた方もおられることでしょう。
小さな出来事に中に、大いなる神の働きがあることを聖書は伝えます。暗闇の中にゆらめく小さな光の中に大きな希望があることを聖書は語ります。キリスト教主義を同志社大学の徳育の基本とする、と新島は語りました。そこには、それまでの因習を超えて、まったく新しい教育を日本にもたらそうとする新島の挑戦的な決意が明瞭に表れています。
キリスト教主義は単にキリスト教の知識を教えることではありません。新島が「五平さん」と呼びかけたとき、また「人一人は大切なり」の新島の言葉に一同が涙したとき、それらがキリスト教主義とは何かを十分に語っています。小さな出来事に中に、大いなる神の働きがあるというパラドクスこそ、キリスト教の奥義であると言ってよいでしょう。また同時に、それは同志社を同志社たらしめてきた精神でもあります。
おわりに
新島は「一国の良心」となる人物の輩出を願いました。しかし、それによって能力の高い大人物が輩出されることだけを新島は考えたのではありません。帰りの汽車賃の2ドルを新島に差し出したあの農夫のように、また同志社のために使えた五平さんのように、財産や能力の多少にかかわらず、自分が与えられているものを誠心誠意捧げることによって、誰もが良心の実践者となることができるのです。
150年の時を経て、この場に立ち、新島が今も私たちに問いかけ続けていることを感じます。力を尽くし、思いを尽くして、良心の実践者となっているかと。日本を大掃除しようとした新島のスケールの大きさは、150周年を迎えた同志社に大胆な挑戦者であり続けることを求めます。そして、その大きさや大胆さは、小さな一人ひとりを決して軽んじることのない精神と一体的なものです。
これからいかに困難な時代が来たとしても、同志社は「世の光」として暗闇に光を灯します。そのためにも、同志社の歴史と精神を語り継いでいきます。そして語り継ぐだけでなく、これから新しい物語を紡ぎ上げ、次の時代を切り拓く、新たな同志社オリジンを生み出す決意を新たにしたいと思います。