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建学の精神と新島襄

新島襄と同志社

1875年、新島襄によって
同志社大学の前身である同志社英学校が創立されました。

新島 襄 新島 襄(1843-1890)

同志社の創立者新島襄。幕末の1864(元治元)年、激動する日本の将来を憂い、国禁を犯して脱国し、約10年間にわたってアメリカ、ヨーロッパで学び、キリスト教の洗礼を受けて帰国しました。そして、国内外の多くの人々の協力を得て、1875(明治8)年11月29日、京都の地に同志社大学の前身となる同志社英学校を設立しました。新島は、学問の探求とともにキリスト教を徳育の基本として人格を陶冶する教育機関をめざし、同志社においてキリスト教主義に基づき、自治自立の精神を涵養し、国際感覚豊かな人物を育成することを教育の理念としました。爾来(じらい)148年、この「志」に共感する「一国の良心」たらんと願う人々が同志社に学び、固有の伝統と自由に満ちた学風を築いてきました。そして、30万人を超える卒業生が、各界において「同志社人」としての自覚と誇りを胸に、みずからの人格を一層高めながら「地の塩」、「世の光」として活躍しています。

同志社の原点

新島襄は148年前の日本において、
「良心」と「自由」に満たされた学園を開拓する一方で、
高尚な志の大切さを訴え続けました。

新島襄の志

新島襄(1843~1890)は、21歳で幕末の日本から密出国して渡米しました。人びとが奴隷扱いされ、息苦しい封建社会に束縛されることに我慢ができず、自由と人権を求めての冒険でした。留学中、キリスト教徒となった新島は、しだいにひとつの夢を膨らませました。「自由」と「良心」に立つ人間を養成するキリスト教主義教育を日本でも、という夢です。10年振りに帰国した新島は、京都への同志社英学校創立に着手しました。同志社とは、「志を同じくする者が創る結社」です。その原点は、もちろん新島の志です。「ひとつの志」、「同じ志」、すなわち「同志」を意味します。

「自由」と「良心」をベースに

同志社大学設立の旨意 同志社大学設立の旨意

新島の夢は、「良心」と「自由」に満たされた学園と社会の実現です。彼は、日本が自由で民主的な近代国家になるためには、一人ひとりの個性と人格が十分に尊重されることが、大事だと考えました。だから、同志社においても彼は生徒一人ひとりの人格を尊重しました。生徒はかけがえのない「同志」でした。新島は「遺言」の中でも、「学生を丁重に対応すること」を教職員に望みました。この遺訓は、今も本学では大事に守られています。新島は、大学昇格を目指しながらも、募金運動の途中、志半ばで倒れました。

志の実現には200年

今出川キャンパス 今出川キャンパス

未完に終わった新島の遺志は、教え子たちなどによって引き継がれ、死後22年にしてようやく同志社大学が実現しました。生前、新島は勝海舟に「大学の完成には200年」と答えています。すでに創立148年を経た本学ですが、いまでも新しい学部や専攻の設置を始め、先端的教育・研究体制の整備や充実、組織の改編などに積極的に取り組んでいます。まだまだ発展途上の学園だからです。これからも、教職員や卒業生はもちろん、学生一人ひとりが、同志社の「原点」である新島の志を中軸にした「同志」となって、彼が目指した大学の完成を目指します。

新島遺品庫

新島遺品庫

新島遺品庫は、新島襄永眠50年記念事業の一環として池田庄太郎を始めとした同志社卒業生からの寄付をもとに、新島襄にゆかりのある資料6000点近くを解説とともにご紹介しています。
新島の誕生から、永眠、葬儀までを全20章でご案内している『新島襄ものがたり』や、英学校の開設から大学の誕生まで、歴史上の人物とともにご案内している『同志社のはじまり』など、様々なコンテンツをお楽しみください。

新島遺品庫

関連情報 学校法人 同志社
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日本語、英語の二カ国語で刊行している『マンガで読む新島襄 自由への旅立ち』のご案内。
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