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建学の精神と新島襄

同志社墓地の案内

左京区鹿ケ谷若王子山町に同志社墓地があります。創立者新島襄をはじめ、妻新島八重や山本覚馬、徳富猪一郎、同志社関係の宣教師たちが眠っています。

左京区鹿ケ谷若王子山町
若王子神社から山道を徒歩25分

同志社墓地の案内図

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若王子山頂 同志社共葬墓地内配置図

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人物紹介

01. 新島襄(1843.2.12-1890.1.23) 上州安中藩士・新島民治の第5子、長男として安中藩江戸屋敷で誕生。21歳のとき、鎖国中の日本を脱出し、渡米。フィリップス・アカデミー、アーモスト大学、アンドーヴァー神学校に学ぶ。1874年末に帰国。翌年、山本覚馬、J.D.Davisらと共に同志社を設立。1889年末に病に倒れ、1月神奈川県大磯町で永眠。
02. 新島八重(1845.11.3-1932.6.14) 会津生まれ。山本覚馬の妹。新島襄夫人。1876年、アメリカン・ボード(新島を支援したミッション)派遣の宣教師A.J.Starkweatherと女子塾(同志社分校女紅場)を開き、同志社女子部の基礎をつくる。
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03. 新島民治(1807-1887) 新島襄の父。号・是水。上州安中藩の祐筆として藩主板倉候に仕えた。
04. 速水時子(1840-1905) 新島襄の第4姉。速水忠雄に嫁いだ。
05. 広津常五郎(生没年不詳) 広津友信の叔父と思われる。広津は新島八重の縁者のひとりである。
06. 松山高吉(1846-1935) 国学者。新島襄と親交があり、同志社で教授、理事を歴任。聖書の翻訳、讃美歌編纂にも功績があった。讃美歌を作詞。
07. 外国人教員(宣教師)共葬墓
Mary F.Denton(1859-1947) 同志社の女子教育に家政学教師として尽力。彼女を通じて、栄光館、ジェームズ館等の建築費が寄付され、彼女の功績をたたえてパイプオルガンが贈られた。同志社幼稚園の開設者。
Alice E.Gwinn(1896-1969) 女子部で8年、中学校で22年、英語教師を務める。宗教教育にも熱心であった。
Robert H.Grant(1911-1974) アメリカン・ボード宣教師として、第二次大戦後に来日。大学文学部教授。女子部の教育にも功績を残した。
Gwilym G.Lloyd(1914-1984) アメリカの合同長老派教会の宣教師。大学神学部で新約聖書学やギリシャ語原典を担当。
Jhon G.Young(1902-1990) アメリカン・ボード宣教師として、第二次大戦後に来日。大学神学部や商業高等学校で教え、ハワイ寮舎監を務めた。
Esther L.Hibbard(1903-1999) 伝道師・宣教師として女子部での英語教育に大きな功績を残す。戦後に発足した同志社女子大学の初代学長。
08. Daniel C.Greene(1843-1913) アメリカン・ボードが日本に派遣した最初の宣教師。摂津第一公会(現神戸教会)を設立し、初代牧師を務める。横浜で聖書翻訳に従事した後、同志社で神学や旧約聖書学を担当。在職中、彰栄館、同志社礼拝堂、有終館を設計、監督した。
09. Mary J.Greene(1845-1910) Daniel C.Greene 夫人。マウント・ホリヨーク・セミナリーを卒業後、1869年に結婚。神戸、京都、東京などで働いた。
10. 山崎為徳(1857-1881) 熊本洋学校、開成学校(東京大学の前身)を経て、同志社に入学。第1回卒業生であり、最初の日本人教師・幹事の一人として草創期の同志社に貢献。碑文は、M.L.Gordon教授の撰文。著書『天地大原因論』は、その英才をしのばせるもので、J.D.Davis教授が英文の序を寄せている。
11. 水崎基一(1871-1937) 同志社大学教授、理事、女学校校長を歴任。大学設立(専門学校令による)に際し、新島の遺訓を守って徳富蘇峰らと募金活動に献身した。碑銘は、蘇峰によるもの。
12. 堀貞一(1863-1943) 同志社卒業後、自給主義を標榜し、滋賀、新潟、群馬で伝導、後にハワイで日本人教会を牧した。海老名弾正総長に請われて、同志社宗教主任となり、学生生徒に多大な感化を与えた。
13. Dwight W.Learned(1848-1943) アメリカン・ボード宣教師であり、同志社大学の初代学長。同志社英学校開校直後から52年間、教育に貢献。特に神学・経済学・政治学に関する著書が多く、近代日本の学術の発展に大きく貢献した。碑文の"Learn to Live and Live to Learn"は、彼の愛誦句である。
14. 徳富猪一郎(1863-1957) 号は、蘇峰。民友社を創設し、『国民之友』『国民新聞』を刊行し、明治の青年、知識層に強い影響を与えた。新島襄の遺志を継いで同志社大学の設立に尽力し、終生助力を惜しまなかった。主要著書に『近世日本国民史』全100巻がある。碑銘は自筆。
15. 山本覚馬(1828-1892) 同志社発起人の一人。現在の今出川校地は、彼の所有地。「同志社」の名は、山本の発案という。もと、会津藩士、京都府顧問、初代府会議長。
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16. 山本家
山本権八(-1868)・佐久(1810-1896)
山本覚馬、八重の両親。3男、三郎も埋葬。権八、三郎は戊辰戦争で戦死した。
17. 山本久栄(1871-1893) 山本覚馬の娘。同志社女学校、神戸英和女学校(現神戸女学院)で学んだ。徳冨蘆花の小説『黒い眼と茶色の目』に描かれた「茶色の目」事件のヒロイン。
18. 原田助(1863-1940) 第7代同志社総長。在任中に大学、女学校専門学部(いずれも専門学校令による)を設立し、同志社の学術レベルの向上に貢献した。神戸教会牧師、日本組合教会会長。
19. 森田久萬人(1858-1899) 同志社第1回卒業生で、最初の日本人教師の一人。同志社の財政・教育の充実のために貢献。理論的な思考に優れ、非常な読書家であった。
20. 不破家 不破唯次郎(1857-1919) 唯次郎は同志社を卒業後、福岡、前橋、京都で教育と伝道に従事。
21. 宇野家 宇野重喜(1853-1919) 同志社体操教師であり、総寮長。京都YMCAや日本体育会の設立にも尽力した。日本最初のキリスト者陸軍軍人であり、墓石は墓地の「衛兵」の位置にある。
22. 松本五平(1831-1899) 本名宗之。同志社初期の用務員で、新島を尊敬し、永遠に新島の許にいたいと希望して洗礼を受け、また、死後も新島の「墓守」でありたいと願った。ユーモアに富む伝説的な人物で、新島は彼を「五平さん」と敬称をもって呼んでいたという話は有名。
23. 高木庄太郎(1889-1927) 同志社大学卒業後、同志社大学教授となり政治学を教えた。「手腕は人格の裏書を要す」がモットー。墓碑銘は賀川豊彦の書。台石のラテン語TOTUS IN SEPSO(独立自助の人)は、D.W.Learnedの撰文で、高木の遺志によって刻まれた。
24. 大西留吉(1883-1909) 同志社普通学校在学中に日野真澄から洗礼を受ける。苦学のため在学中に肺結核で死去。
25. 同志社共葬墓 同志社関係者の希望に応えて、1973年に設けられた。現在170名余の埋葬者氏名が刻印されている。主な埋葬者は次の通りである。
秦孝治郎(1890-1972)同志社理事長。
大塚節治(1887-1997)第13代同志社総長、同志社大学長。
住谷悦治(1895-1987)第14代同志社総長。
上野直蔵(1900-1984)第15代同志社総長・理事長。同志社大学長。
齋藤亥三雄(1905-1996)同志社理事長。
26. 永田伸也(1896-1921) 同志社大学法学部卒業後、同学部助手・講師となるが、25歳の若さで夭折した。
27. 米田和男(生没年不詳) 同志社大学や京都大学の教授であった米田庄太郎の長男。
28. 茂木平三郎(1850-1902) 同志社英学校卒業後、上州、越後、日向、京都で伝道に従事。
29. 梶谷仲(生没年不詳) 夫が出奔したために生活に困窮した。遠縁の黒住猪太郎(同志社卒業生)から聞いた新島襄を頼り、子供と共に京都に転住した。
30. 湯浅恒(常)、光吉、直代 恒(1866-1896)は、上州安中出身。同志社女学校を中退。湯浅吉郎(半月)夫人。同志社病院で死去。光吉は、長男。直代は同志社の経営に尽力した湯浅治郎の6女。
31. 大沢徳太郎(1876-1942) 同志社に学び、後に実業家として24年間同志社理事を務めた。在任中、大学令による大学への昇格、岩倉の土地購入などに顕著な功績があった。貴族院議員。父善助も、新島の在世中から社員(理事)として、また、長男善夫も長年理事として同志社に尽くした。
32. 中村栄助(1849-1938) 同志社社員(理事)。新島の信任が極めて篤く、草創期の同志社に絶大な貢献をした。新島の永眠後は、同志社の危機に際し、いくたびか臨時社長、総長代理となって難局を切り抜けた。国会議員、府会議員、初代市会議長を歴任。碑銘は、蘇峰によるもの。
33. Jerome Dean Davis(1838-1910) アメリカン・ボード宣教師。神戸から京都に転じ新島の同志社設立計画に賛同し、山本覚馬と共に終生新島の良き理解者として、彼を助けた。神学書の他、新島伝も著す。"My Life is My Message"が遺言。
関連情報 アーモスト大学(英語/外部サイト)
新島襄が学んだアーモスト大学のウェブサイト。
History of Amherst College and Japan(英語/外部サイト)
新島襄が紹介されいているアーモスト大学ウェブサイトの該当ページ。